2013年2月アーカイブ

美しいもの。

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美しいもの。


その人生を音楽と聴衆のために捧げているアーティストたちに、


彼らの人生に渡る鍛錬とその音楽を受け取った聴衆がたちあがり、


最大限の尊敬をおくる姿。


この日の主役は、もう70歳を超えたプラシド・ドミンゴ。


舞台の上からも下からも尊敬を集める、


真の芸術家の姿をみた。


@ウィーン国立歌劇場


ぼくはもうすぐ日本。


ウィーンでもうひとふんばり。

MU5。

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マジで、歌う、5分前、MU5のユンケル。


@ウィーン国立歌劇場。


きょう、いま、この劇場で、オーディション聴いてもらえてよかった。


ちなみ普段のMU5は、


レッドブル+ホットコーヒーの合わせ技です。


混ぜてません。二刀流です。


ユンケル売ってません。


秘蔵である。

ふじきな香りただよわせ。

すっかり忘れていた。


特集:日本音コン受賞演奏会(東京公演)-毎日jp


受賞記念演奏会(青森公演)社告-毎日新聞


2日1日の毎日新聞朝刊に載りますよ、と連絡をいただいていたのに、


いま偶然ネットでみつけるまで忘れていました。


ダブリン行ってたころだからなぁ。


ぼくが初めて新聞に名前が載ったのは、


中3のときに宮日新聞主催の英語暗唱大会の


録音審査を通過した結果発表のときなのですが、


公共のものに名前が載ったのがそれはうれしくてね、ずっと記事を眺めてました。


最近めっきり自分が出たなにかを眺めることには興味がなくなってきて、


ぼくはラジオやテレビに演奏が流れたときも日本にいなくて聴けなかったし、


ブログには日程を載せておいたものの、


直前に家族にリマインドするのも忘れていて、家族も見逃した。


うーん、いつもあとで慌ててお願いして記録としていただいているのですが、


だいぶたってから客観的にゆっくり観たいな。


そんな感じです。


もちろん本当にうれしいんですよ、人生かけてやっていることが形に残るのは。


とりあげていただくことは本当にありがたいことです。


でも、演奏家としては、


まずひとつひとつのステージがうまくいくことが大事。


あと、ひとつ、いつか書こうと思っていたことがあって、


さいきん記事になるときに、


ぼくの最終学歴としてウィーン国立音楽大学大学院が載るのですが、


ぼくはこの学校では音楽(声楽)の勉強はしていません。


2008年に音楽の都ウィーンという街に


音楽実技でなく学術的な分野で大学院留学したかったぼくは、


いちど下見に訪れたときにこの街の音大の大学院に


文化経営学(Cultural Management)の研究所があるのを発見し、


ドイツ語小論文を書いてメールで送って、一次試験としてのそれがパスしたら


テレフォンインタビュー(ほんとは現地面接だけど日本にいたから)


で入試を受験して、文字通りすべりこんで入りました。


絶対ビリで合格だったな、あれは。


あんなにわかりやすいビリはないくらい、ついていくだけで精一杯。


そこはいわゆる社会人入学の修士課程だったので、


文化的なバックグランドをもつ仕事、


たとえば博物館で働いていたり、地方の行政の文化部門にいたり、


グラフィックデザイナーだったり、クラシック音楽の奏者だったり、


演劇やオペラの劇場のマネジメント部門にいたり、、、、


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そんな同僚の"学生"は20代から50代まで24人いて、


ぼくらはヨーロッパ各地から1か月に1週間の集中講義に集まって


経営学や経済学、法律、会計学、美学、


文化社会学、プロジェクトマネジメント、etc、、


そういうレクチャーを受けたり、


同僚とのグループワークで、たとえば、


スペインのある街に新しくオペラハウスをオープンさせるための


経営戦略をつくって発表したり、


なんか、たり、ばっかりだけど、結構おもしろいことをやってました。


入試も講義も試験も全部ドイツ語だったから大変だったけどね、やっぱり。


ほとんどオーストリア人かドイツ人で、


ドイツ語ネイティブじゃないのは、ぼく含めて5人くらいだったもんな。


ほかの4人もドイツ語10年選手だったしな、アジア人はぼくだけ。


いやー、あの壁は高かった。いまでも超えた気はしていないけど。


経営学や会計学の筆記試験がドイツ語で記述式ですからね。


とにかく、大学院で頭プチプチになりながらみっちりそういう勉強をして、


音楽(テノール)は学校でなく個人レッスンでやればいいや、と考えていた。


音楽の都だからそんな可能性はいくらでもあるだろう、と。


講義は月に1週間だけだったので、あとの時間は音楽に使えました。



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そのときの大学院の同僚はそのとき自分の仕事に戻っていたり、


文化のフィールドで就職、転職したり、出産したり、


演奏家や作曲家としてキャリアを積んだり、母国に帰ったり、いろいろです。


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ぼくはそのころオペラハウスの経営に興味があったので、


ウィーン国立歌劇場の管理運営・制作部門でインターンをさせてもらっていて、


並行してテノール歌手としての演奏活動をしていたのでした。


2年間のレクチャーもレポートも筆記試験も全部おわり、


さあ論文書いて、最終口頭試験受けて、学位とるぞ、というときに


縁があってカウンターテナーへの転向を決めたので、


実際並行して執筆していたのだけれど、


ちょうどそのころ震災があり、


自分の中でも考え方がかわる出来事がいくつかあって、


学籍は研究所においたまま、


しばらくは転向のための訓練と、


歌手としてのキャリアメイクに集中しようと決めたのでした。


そして今年ようやく論文執筆を再開したところなのです。


というわけで、長くなりましたが、


学歴として載っているウィーンの音大では声楽でなく経営学を学びました。


変な奴!


つまりいま学校に毎日通学して"学生"しているわけではありません。


プロフィールの字数に余裕があるときは


「ウィーン国立音楽大学大学院文化経営学研究所」と書くのですが、


書いたら書いたで説明が結構めんどうなのです。


あ、別に学歴詐称疑惑の問い合わせがきた訳ではないですよ。


音楽コンクール関係の学歴でコレが載ると自分では違和感があるのだけど、


最終学歴として書かないといけないことが多いので、そうなります。


というわけで、


明日は"古巣"のウィーン国立歌劇場でのオーディションなので、


今日は楽しそうなお誘いもあったのだけど、


涙を飲んでなるべく疲れないように過ごす日曜です。


いいコンディションで演奏をするために諦めることは多いけれど、


いまはそれが全然イヤじゃなくなってきた。


自分がいい状態で歌えない事のほうがずっとイヤです。


話はスーパー戻るけど、


自分が載ったなにかを眺めるより、


いい体調でいい演奏ができて、


聴いてくださる方になにかが伝わることのほうがずっと大事なのだ。


練習も、メール打ち合わせも、先のコンサートのプログラミングも、


いまはそのための準備が楽しくて仕方がない。


すばららしい共演者、すばらしいプロダクション、


本番までのプロセスを想像してはわくわくして興奮している。


プラス論文も書いているので、


脳みそのいろいろな場所がそれぞれ全部疲れてしまう感覚なのである。


今日はなるべくそういう作業を減らしたので、


ゆっくり寝られるといいな。


そして不思議な香りを漂わせるのだ。


3月  8日(金)18:30 東京オペラシティコンサートホール 詳細
3月10日(日)14:00 青森市民ホール 詳細

マウンテン。


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ネットでリサーチをしていて、母校の大学のサイトにぶつかった。


ぼくがそのとき調べていたことは、


「日本人ではじめて(クラシック)音楽留学をしたのはいつでだれか」


ということなのだけど、


それが一体なににつながっていくかというと、


「開国後に日本にどのように西洋音楽が輸入され、音楽教育がなされたか」


なのですが、まあその結果はきょうはおいておくことにして、


とにかくそれに深く関わっているのは母校なんですね。


同じサイトに、声楽科の同級生のインタビューがのっていました。


彼とは高校時代から時々会う機会があって、


高校時代のコンクールもいくつか一緒だったし、


受験前のレッスンも一緒に通ったし、入学してからも一緒のことが多かった。


東京で初めて住んだマンションの蛍光灯の設置を手伝ってくれた、


といえば大体の一緒ぶりがわかるとは思うのだけど、元気そうでよかった。


もう7-8年会ってないけど、活躍ぶりはいつも耳に入ってくるので心配はない。


高校生だったぼくたちには大学受験はとても高い山だった。


ふと今、大学のサイトをみたり、彼のインタビューを読んだりすると、


いや、あのころそうだったよなー、と。


もう15年も経って、でもオフィシャル・アンオフィシャルな場を問わず


いまだに大学受験のことを話題にされることがあるのだけど、


うーん、確かにあのときはそのどれくらい高いかもわからない山を目指して、


高校生の自分はできるかぎりの努力はしたと思うのですよ。


でもあんなに高かった山は、もう遥か昔にあって、実際ほとんど忘れていて、


そのあともいろんな山はあったと思うけど、


いまはまったく違う山に立ち向かっている。


15年前の山が3000メートルだったとしたら、


いま目の前にある山はたぶん30000メートルだ。


スーパーサイヤ人にならないと登れないかもしれないなら、


スーパーサイヤ人になるしかないと思うのです。

361ッス。

サムイっす。


ちょっと外に出るじゃない。


ウィーンはセマい街なので、どこかに用事があっても、


大体片道30分あればどこにでもいけるのですね。


バスとトラムと地下鉄で。


で、家に帰ってくるじゃない。


いや、もうね、どんなに手厚くヒートテック様に護られていたとしても、


おれがその上に真冬用のコートを来て、手袋、帽子でおれを護っても、


芯まで冷えきったカラダは簡単にはあたたまらないんだ。


あたたたたたたたたまらないんだ。


ぼくはサムイサムイと思っていたけれど、


今年はそんなに寒くないらしいんですよ?


マイナス4度とかね。


ぼくにはとてつもなく寒く感じます。


というわけで、


用事ででかけると、往復マックス1時間の道中にまた風邪をひきかけるので、


そうならないように、帰ってすぐ、


葛根湯と金時しょうがと薬局の養命酒みたいなのを自分でブレンドした


変な味のお茶を飲むわけです。


自慢じゃないけどマズいのです。


ところでウィーン暮らしはもう5年目になりますが、


先日はじめてホテル・ザッハーのロビーに入りました。


ザッハートルテのザッハーですね。


あの超甘いアイツからは想像できない貴族な空間でした。




少し手軽にカフェでも食べられる、


そのザッハートルテはもう2年以上は食べてないかな。


超甘いので。


その貴族なホテルロビーに


貴族でないぼくがなにをしにいったかというとですね、


ミュンヘンからお越しの宮崎人ケンジさんとの再会。


楽しかった。


日本人としてドイツでたたかって20年。


その長いたたかいがつくり出した彼のやわらかい雰囲気とやさしい心。


尊敬する先輩。


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僕はことしは、いまのところオペラへの出演が3作品ある予定で、


あとの出演はコンサートやリサイタルなどですが、


とにかくはじめて歌うものがいっぱいあるのです。


ありがたいことです。とてもとても。うれしいことです。


いまもう、本番が近いものから順に片っ端から、


歌曲もオペラも、


毎日その作品のマウンテンを登っているわけです。


あんなに魂のこもった曲たちに中途半端に向き合うわけにいかないので、


言葉をかみくだき、音符をかみくだきながら少しずつ登るのです。


それはそれは時間のかかる作業だけれど、


ただの音符のついた歌詞として、いくらきれいなメロディーだからって、


歌手が好き勝手に気持ちよく歌うわけにはいかないのです。


こんなにいろんな作品にじっくり向き合える時間は、


今年前半はもう今月しかとれないから、


いまじっくり入念にやれていて本当によかったと思っています。


くわえてこんなにサムイので、もうずっと家で仕事しています。


買物にいくのもためらい、残り物でお好み焼きを焼くほどの寒さです。


下手に出かけて下手に風邪をひくと、数日から1週間は仕事にならないのです。


音楽家の仕事は、準備段階はずっと家でできるのです。


始業も終業もないので、


メリハリつけないとエンドレスか、ひどいときにはスタートレスです。


自主自律。


だから今月は更新が多いのです。


音楽のマウンテンに集中したり、


アカデミック(でなければならない)な論文書いて疲れたアタマは、


別のこと(ブログ)して解放するのです。


いつも拙文にお付き合いいただきありがとうございます。


うーん、まんだむ。

SORA。

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きょう、16時からピアニストに現代オペラの譜読みを付き合ってもらって、


その曲っていうやつは、なんていうか本当に現代曲で、


うまく表現できないんだけど、


歌ってるとのどがつりそうになるわけです。


音域は問題ない、言葉はイタリア語、リズムもそこまで特殊じゃない、


だけどね、歌ってるとのどがつりそうになるわけ。


音程の跳躍が突拍子もなかったりとか、


オケの和音にはまっていない音に着地しないといけない、とか、


そうだなあ、集中力が必要すぎて大体30分続けてたら頭がいたくなるのですね。


で、その予期できない音符のやんちゃさにのどがつりそうになるのです。


これを数ヶ月後には全部覚えて舞台で演じながら歌うわけなので、


まずなんというか、先にのどを馴らさないとのどに悪いのです。


うまく説明できない。


うたもスポーツなんですよ。


で、夢中にやってたら17時くらいになって、


外をみるとまだ明るいんですね。


ずいぶん日が長くなったよねー、とピアニストと話していました。


天気はあいかわらず悪いから暗いけど、日が長くなった。


そんな毎日なので、たまに青空がのぞくと、明るい光が窓からみえると、


それをエンジョイしないともったいない気分になるのです。


太陽がもったいないのです。


そんな過日のSORA。

大作戦!からもう1年。

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1年前なにしてたかなー、とふと思って調べてみたらコレでした。


宮崎での「みんなに音楽♪大作戦!」公演前夜の恒例・岩切さん宅ディナー。


去年のキャラバンコンサートでは、島浦と日之影に行ったんでした。




ぼくのカウンターテナーとしての(再)デビュー、


日本で最初の出演となる大事なコンサートでした。


うわー1年はえー。


「大作戦!」は今年もやりますよ!


カミングスーン。


昨年のプロジェクトのサイト。




ちなみにいま書き物しながらおはぎのCD聴いてました。


運命だねー。


はやくいつもの大作戦チームのみんなに会いたいなー。


オマケ。


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あー元気でた。


でもたのむ、夢にはでてこなくていいです。

隠棲。

ヴォルフという作曲家の「隠棲」というドイツ語の歌があります。


ドイツ語で書くとWolfという作曲家のVerborgenheitという歌です。


この曲をこんど日本の数カ所ではじめて歌う事になっています。


ぼくがこの曲を知ったのは実は高校生のころで、


地元の歌の先生のところの姉弟子のソプラノの方が歌っていたわけです。


その方は大学院を出たてくらいのとても優秀な歌手で、


高校生のぼくには雲の上の歌手だったわけです。


まだイタリア語のうた(カタカナ読み)と日本のうたしか知らなかったぼくには、


ドイツ語のヴォルフの「隠棲」は非常にしぶくオトナなうただったわけですが、


そういう時期に身近なスターが歌っていたからこそ、


いまでもよく覚えているのかもしれません。


その姉弟子は元気かなぁ。


時は経ち、ぼくが自由なプログラムでコンサートができるようになって、


ちょっとやってみようかな、とそんな感じでプログラムに入れて、


いまそいつと向き合っているわけです。


メーリケという詩人の、たいへん孤独な詩なのですが、


きょう、まあ、これがどうもうまく歌えるわけです。


人間というのは、生きているうちにいろんな感情に出会います。


喜び、悲しみ、恋、愛、嘆き、亡失、郷愁、崇拝、孤独、感謝、、、、


最近歌をうたうときに、こうした自分の経験を声にのせることが、


少しずつできるようになってきた気がするのです。


うまく説明できないけど。


まあ、きょうたとえば孤独を感じた瞬間があったとして、


まあ、たとえばというか実際あったんだけど、


ふと思い立ってピアノのところに行って、「隠棲」を歌ってみたわけですね。


当然そのときのぼくはその感情に満たされているから、


歌としてはかなりうまく歌えたんじゃないかと思ったわけです。


まあ、ぼくしか聴いていないので証人はいないけど。


人の前で歌うという行為はそういうことだろうなと。


詩人のインスピレーションを受けて作曲家がつけた曲の世界を、


自分の経験なり解釈なりに基づいて表現する。


楽譜に書いてない事やっちゃダメだけど、


楽譜に書いてある事の中で表現する。


もちろんそのためには技術が必要だけど。


その技術を一生みがいていくのが声楽の修行で、


表現を深めたり広げたりするのは人生そのものかなと。


そんなことを感じた午後です。


ちなみにそんな心境だったので、


マーラーの「私はこの世から姿を消した」という歌、


ドイツ語で書くとMahlerのIch bin der Weld abhanden gekommenという歌、


これもタイトルからしてアレな感じですが、すばらしく美しい歌です。


これをやってみたらやっぱりうまくいくわけです。


いやー、きょうはいい練習したわ。


でもそれじゃあまりにネガティブなので、


最後にリヒャルト・シュトラウスの「献呈」で練習をシメました。


R.StraussのZueignungです。


「ありがとう〜!」つって終わる曲です。


興味があったら動画サイトで検索してきいてみてください。


ぼくも来月と再来月日本で歌います。


ぼくは結局うたに助けられて生きてるな、と思うのです。

ハナから。

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これもまたよくきかれるんだけど、


ウィーンではいつもなにを食べてるんですか?と。


家で料理します。


和な味で。たまに伊な味で。


オーストリア料理を外で食べる事は、月に1回もないかなぁ。


よくきかれます。


食材はどうするんですか?と。


最近オーストリア航空の日本とのフライトでは


大きいトランクを2つ預けられるので、


調味料は日本で買って運びます。


肉や野菜はこちらで売っているので、なんでもできます。


米はずいぶん安いです。


オーストリアには海がないので、困るとすれば魚かな。


数日前、節分だったでしょう。


おれはどうしてものり巻きを巻きたかったのだが、


魚はなかったので、ツナ缶とカニカマでなんとかし、


卵焼きは自分で焼き、


海苔は大事に使いすぎてちょっと湿気てるやつが


太巻きには長さがたりなかったので、


おれおれ手巻きをおれおれ自宅で開催したのである。


なんとでもなるのである。


カレンダーをみると、


どうみてもいましか風邪をひけなさそうなので、軽めにひいてみた。


わたしは鼻から。


おとといから早めのパブロンを1日一回飲んでいるのだが、


今日からけちらずに1日三回にします。


日本の調味料はけちらないでいいくらい在庫があるけれど、


日本の薬は貴重だからけちってました。


だけどけちってちゃ治らんなー。


葛根湯とプロポリス原液と金時ショウガをまぜて


自分でつくった変な味のお茶も、まじめに飲みます。


というわけであしたにはきっとハナウォーターストップ。


やれやれ。


きょうは声をあまり出せない分、


声をださずに4曲くらい暗譜(アンプ)しましたよ。

たぶん最後のコンクール。

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アイルランド・ナショナル・コンサートホール。


ちょっとダブリンにいっていました。


この1年で3回目。


今回の目的はここで行われた国際コンクールでした。


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まさか応募のときに送った25歳のときの写真が、


そのままプログラムにカラーで載るとは思わなかったけれど。


34カ国から150人が応募、


録音審査で87人にしぼられ、ダブリンに集合。


この時点で日本人はひとりだけだったので、


日本人としても勝ちたかったんだけれど。


入賞者にはアイルランドやイングランドでの出演契約の副賞もついていたし、


たとえ優勝できなくても、


ファイナルまで行けば先につながることが多いのが、


大きい規模の国際コンクール。


ぼくがここで意味するところの「勝つ」とは、


「結果がなにかしら次のステップにつながる」ことです。


一次予選の結果、87人は20人になり、


その20人で準々決勝(クォーターファイナル)。


ぼくはこの準々決勝で敗退。


準決勝(セミファイナル)進出は12人。


うーん、手応えもあったし、客席の反応もよかったし、


もうちょっといけるかな、と思ってたんだけどなー。


一生に一回くらい世界一になってパレードしたかったなー。


残念だけど、敗退翌日にウィーンに戻りました。


いまの自分の演奏はしっかりできたので、反省も後悔も言い訳もありません。


そこでベストを尽くしたぼくが選ばれなかったというだけです。


ほとんどのコンクールには年齢制限があるので、


そしてぼくはほとんどその制限にひっかかる年齢になったので、


コンクールはこれで最後かな。


でも、ずっとコンクールに挑戦してきた目的は達成できたと思う。


2011年にカウンターテナーにかわって、


当然最初はカウンターテナーのぼくのことなんか誰も知らないし、


誰も知らない歌手に演奏の仕事はこないので、


でも人前で歌わないと歌はうまくならないし、


とにかくだれかに聴いてもらうために国際コンクールを受け始めました。


しかも大きい有名なやつばっかり。


もし優勝や入賞しても演奏の機会ももらえないような小さなコンクールだと、


旅費ばかりかかってあまり意味がないと思ったので。


それに劇場やエージェントのオーディションは


まず実績を作って自分が呼ばれないと歌う権利さえもらえないけれど、


コンクールは応募すれば録音にしろ実演にしろ、


とりあえず誰かに一度は聴いてもらえるからね。


誰かに聴いてもらえなければ演奏の仕事は永遠にこない。


家で練習しているだけでは何も起こらないのです。


もちろん最初の半年くらいは録音審査で落とされたり、


一次予選で落とされたり、全然ダメでした。


技術も未熟だったし、音楽的に自分のやりたい演奏も実現できなかった。


でもそれでもとにかくやり続ける中で、


本番に向かうペース配分とか、


いかに緊張を強いられる本番で自分の音楽と個性をアピールするか、とか、


そもそも自分の個性とはなんなのか、とか、


ちょっとずつそういうことがつかめてきた。


レパートリーももちろん増えた。


自分にどんなものが向いているかわかってきた。


自分は手応えがあったのに早いラウンドで途中敗退したときなんかは、


チャンスがあれば審査員全員のところに行って、


自分のなにがよくてなにがダメだったのか、意見をもらった。


その意見を、もっとうまくなるための材料にしてきました。


録音審査で落とされたやつは、


自分に何がたりなかったのか、


先のラウンドに進んだ他の歌手には自分にない何があったのか、


それを知らずに前には進めないと思って、


わざわざそこ(外国)まで聴きにいったりしていました。


自分は歌わないので体調を過剰に整える必要はないから、


安いフライトや電車に乗って、ユースホステルに泊まって。


ライバルたちの演奏からも、本当に多くを学びました。


学んだものを、できるだけ自分のものにしようとしました。


2011年の夏くらいからは、ほぼ毎月どこかでコンクールに出場していました。


国際試合に毎月遠征にいくようなものです。


若くないから挑戦できる時間も限られているし、もちろん資金も限られている。


審査員は世界のあちこちからその場所に才能を探しに集まってきているので、


目にとまればチャンスがあるだろうな、と思っていました。


そんな中でぽつぽつとうまくいくものが出始めた。


そういえばよく聞かれるんですが、


コンクールの参加者はカウンターテナーだけですか?と。


そんなコンクールありません。


あ、たった一個だけあったけど。


カウンターテナーだけで競うコンクールは、


ぼくの知る限り、その年だけスイスで開催された、その一個だけです。


ソプラノもアルトもテノールもバリトンもバスもカウンターテナーも、


ほとんどの場合、同じ土俵でたたかい、審査されるのです。


募集要項にカウンターテナーというカテゴリがなく、


応募すら断られたコンクールもありました。


でもどうしても演奏の機会を増やしたかったから、


そのためには多くのひとに聴いてもらわないといけないから、


もう一度電話で交渉して、男性アルトとして出場しました。


ずっと勝ち続けることは難しいけど、


実際、全然勝てないこともなくなってきた。


ぼくという歌手に興味を持って認めてくれる人が増え始めた。


勝てはじめた。


そのときにはもう、


自分はこの世界でたたかえるんだ、と確信していたし、


あとは自信をもって挑戦を続けるだけでした。


そして、コンサートの機会も増えました。


つまり、ぼくの歌を聴きたいと言ってくれるひとが増えました。


ぼくはテノールのころ、コンクールには否定的でした。


音楽は競うものではないと。


それはいまでもそう思う。


でも31歳でカウンターテナーになったぼくには、


鍛えて、競って、認められるしか、


この先も歌っていく方法がなかった。


2年前、ぼくがカウンターテナーにかわったことを知るひとは


近しいほんの数人しかいませんでした。


まだ何の結果も出ていないころ、


たまに久々の同僚に会ったりして、


実はテノールやめていまカウンターテナーに転向中なんだよ、と言うと、


うそだと思って信じないひともいたし、笑ったひともいた。


でも多くのひとは、いいね、がんばれ、と言ってくれた。


ちょうど2年が経ちました。


いま、どうだろう。


少なくとも、ぼくは「カウンターテナー歌手」になれたと思う。


2年間の成果としてはそれで十分だし、


コンクールはその成果に大きな役割を担ってきて、その役割をたぶん終えた。


ぼくはこれからも、いつもベストを尽くすだけ。


研究にも、訓練にも、練習にも、本番にも。


あしたもあさってもいつもどおり練習します。


もっとたくさんのきれいな景色をみたいから、


もっと歌がうまくなりたいから、


そのための挑戦をつづけます。


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ダブリンからウィーンについたときの機内からの景色。


こんな雪の中でも安全に離着陸できるように、


滑走路を整備してくれている人たちに感謝せずにはいられません。


人は生きていると同時に生かされているのだ。

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
所属事務所による公式プロフィールはコチラ


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