2013年6月アーカイブ

大作戦!宮崎公演せまる。

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あした飛びます。

スーツケースはまだカラ。

今週日曜日は宮崎でお会いしましょう!

6月30日(日)15:00 メディキット県民文化センター(宮崎)詳細
きょうはウィーン国立歌劇場でオーディションでした。
ドミンゴ指揮の「ロメオとジュリエット」の舞台リハがおわった直後のステージでのオーディションには、ぼく以外にも3人の歌手が呼ばれていました
舞台袖で順番を待っていると、リハを終えたテノールのベチャワが、親指たててウィンクして、がんばれよ、と言ってくれました。
1曲目を歌い終わったあと、客席でドミンゴが聴いているのに気づきました。びっくりしたけど、あまり動じずにそのあとの曲もうたえました。もし自分がベストを尽くして力を発揮できても、そのチャンスがモノになるかは、いつでも運命も関係すると思う。でも、与えられたチャンスでいつもどおりのことができるようになってきました。
そのことにぼくはもう満足しているのです。
オーディションだけど、ついにあの舞台に立てました。
そこで、ぼくのいつもどおりの歌をドミンゴが聴いてくれました。
(6月20日)
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いつ伝えようかと思ってたけどいま伝えます。1週間くらいまえのリハのとき、同僚のイタリア人歌手たちが客席に座っていて、彼らだけで話してるのがなんとなく聞こえてたわけ。そしたら"この劇場で昔歌ったあの日本人テノールは本当すばらしかったよね、なんて名前だっけ、あぁ、タロー・イチハラ"。もうぼくは日本人として、イチハラさんにひたすら憧れた元テノールとして、大変誇らしくうれしい気分になりました。そのあとはもちろん話に加わったんだけど、それは89年か90年の仮面舞踏会だったそうです。そんなに時間が経っても彼らの記憶にずっと残っている日本人歌手がいるのです。4月にここにきてから、とにかくいつでもベストでいることに精一杯で、仕事を楽しむ余裕なんてあんまりなかったんだけど、ぼくがここで歌えるのはやっぱりとても光栄なことだし、またこの劇場に戻ってこれるかなんてわからないわけなので、あと6回の公演を一生の思い出だと思って、できるだけ楽しもうと思っているのです。じゃ、初日です。いってきます。
(6月11日)

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マエストロはぼくのひげをいじるほどにご機嫌です。無事初日も開け、翌日もやり、デイリー公演は進行しています。コンテンポラリーなオペラを振る指揮者は本当に大変だとおもう。歌手のことケアしてないとみんな落ちるし、でもオケにも細かく指示だしつづけないといけないし、だいたいオケ多いし、ぼくには名前のわからない変な音のでる楽器あるし。そんな作品をこれまで一回もいらいらすることなく忍耐強く指揮して、みんなをのせていくダニエルはすごいとおもう。しばらく"マエストロ"と呼んでたけど"ダイチ、おれダニエルだから、よろしく"みたいに、偉い人のほうからあるときタメ口が許可されるのです。ずっとされないときもあるけど。

ところでぼくがイタリアに来てから百万回くらい聞かれてる質問はなんだと思いますか。正解は、"おまえは日本のどこ出身だ?"である。ぼくは毎回、"南"と答えるのだが、"南のどこだ?"と言われるのである。そのあとは"それで日本はいまどうなんだ"と。つまり彼らはそれを知りたいのだ。この劇場は何度も日本公演をしているし、日本に行ったことがあるスタッフも歌手もとても多いので、彼らはいかに日本で楽しい時間を過ごしたか、いかに日本文化に尊敬しているか、いかに寿司が食いたいか、ぼくに一生懸命語ってくれるのである。そして日本のいまを心配してくれているのである。これも伝えたいと思っていました。ありがとう、ぼくもイタリア好きだよ。
テレビのニュースの中の見切れそうなサンチョパンサぼくです。きょうもそろそろ出かけます。オペラに出ることが生活の一部になってきました。ぼくはこの生活はたった2ヶ月だけど、専属歌手のみんなとか劇団四季のみなさんはコレ年間通してやってるわけですよね。本当にすごいと思う。日曜日に最後の公演がおわるとき、ぼくはさみしいんだろうね。いまは寿司が食いたすぎてまだ全然だけど。
(6月13日)

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美しいボローニャ。
世界で一番お気に入りの場所のひとつからの景色。
ここ街でのことは一生わすれないだろう。
公演はあと1日。
(6月15日)

外を通りがかったら、みんな仕事していたので手をふった。劇場の搬入口。
2ヶ月もいたらすっかり劇場のスタッフとも仲良くなれた。


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仲間。

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マウリツィオはみんなにお菓子を作ってきてくれた。

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メイクのクリスティアーナ

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衣装のエレナ。

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ピアニストのステファノ。

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ひげと髪のデボラ。

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けっこう大変なオペラでした。「イタリア式離婚狂想曲」。

そのオペラを作ったひと。バッティステッリさん。


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指揮者、ダニエル。

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みんなのおかげで6回もボローニャのカルメロ・パタネになれました。

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ありがとう、ひげ。

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ありがとう、衣装。

ありがとう、ボローニャ歌劇場。


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やっとオペラ歌手になれたかな。
(6月17日)


非公式ですが、試聴はこちらでできます。

バッティステッリ:「イタリア式離婚狂想曲」より その1 その2
(2013年6月 ボローニャ歌劇場)

6月11日(火)20:00 ボローニャ歌劇場(イタリア)詳細
6月12日(水)20:00 同上
6月13日(木)20:00 同上
6月14日(金)20:00 同上
6月15日(土)18:00 同上
6月16日(日)15:30 同上

2013年6月11日。


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(c) Rocco Casaluci fotografo


真ん中ぼくです。


ボローニャ歌劇場「イタリア式離婚狂想曲」初日です。


じゃ、いってきます。

リハーサルはカキョウ。

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ボローニャ歌劇場「イタリア式離婚狂想曲」のキャストは12人。ソプラノ1,テノール1,カウンターテナー1,バリトン&バス9。その9人のバリトン&バスのうち4人がスカートをはいて女性の役をする2008年初演のまだ生きている作曲家のオペラで、ぼく以外は全員イタリア人という、ボーダーレスないまのオペラ界では珍しいキャスティングです。外国での仕事はいろんな気持ちになるし、実際いろいろあるけれど、ここで歌えた経験はいつか人生のお土産になるのでしょう。6/11初日で全6公演です。近いひとは来てね。
(6月1日)

きのう、 リハの休憩中に劇場の前のBAR(バール=立ち飲みエスプレッソ屋)に行ったら、バリスタに熱心に語っているBARのお客のおっさんの話がなんとなく聞こえてきた。"こんどの公演、ひとり日本人が出るだろ?俺たちの気にいるかどうか、まぁ、みてみようぜ"。イタリアでオペラを歌うというのは実際そういうことだ。リハは佳境、これからイタリアーナです。こんどこそ時間に余裕をもっていきます。まぁ、みてくれよ、おっさん。気にいらなかったらけなしていいから。
(6月6日)

なかなかリアルタイムで書けません。ごめんなさい。
(6月7日)

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ぼくの「妻」役のアレッサンドロと、キュー出し(本当は劇場ピアニストで、クレーリアではオケピットでチェンバロを弾いていたが、現代オペラだからキュー出しのひとがいてくれないと出とちる)のクリスティーナと。初日が開けたら衣装の写真も載せられるのでどういうかんじかいろいろわかると思います。書けるといいけど。


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なにしろ親友とのこういう時間が1週間に一度もてたらラッキーな昨今なのです。

クレーリアの勝利。

もう、おわって2週間も経つけれど、まとめて絵日記。


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ボローニャ留学時代の師匠、セルジョが駆けつけてくれたゲネプロ。
"おめでとう。おまえは自分の道を見つけて、扉を開いた。おれはうれしい。そのままなにもかえるな"。公演初日を控えて、そしてこの先の歌手人生を考えても、これ以上にありがたい言葉はなかったと思う。


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演出家ナイジェルの最後のダメだしは劇場の歴史的な公演のポスターの部屋で。
(5月12日)

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メイクを担当してくれたクリスティーナ。


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クリスティーナが結婚記念日で休暇をとったときに1日だけきてくれたマリアンジェラ。さすがにその日だけメイクがちょっとかわった。どっちも楽しんだ。


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髪を担当してくれたジャンナ。

彼女たちが毎日、入れ替わり立ち代わり楽屋にきてくれて、"Daichi"を"Mannio"に仕上げていってくれた。


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衣装デザイナーのモニカ。
公演最終日には、"もう終わっちゃうのがさみしい"と泣いていた。


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衣装は、お姉さんたちが連日公演のときもきれいに洗ってくれて、楽屋に運んでくれていた。毎公演、新しい気持ちで袖を通した。


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靴担当のアンドレア。
やっぱり最終日には、"今日は千秋楽なんだから、おれが紐を結んでやる。ほら、おれの膝に足を置け。そして舞台にいけ。"


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彼らみんなの愛のおかげで、ぼくは6回もボローニャのMannioになった。


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初日翌日の新聞とテレビ。(5月15日)


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リハ期間から公演期間までで、唯一アーティストとスタッフでみんなで一緒にピッツァを食べにいった日。3週間一緒にいて、本当に最初で最後のみんなでの食事。それだけみんなが自分のペースを守って生活していた。(5月21日)


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6公演やる"クレーリアの勝利"の公演も終盤になると、およそ3週間ずっと一緒だった仲間たちとの別れがみえてきてさびしくなってくる。そんな中、けさ、次の公演"イタリア式離婚狂想曲"のリハがはじまって、新しい仲間たちと出会った。この劇場でこのまま2演目続けて出るのはぼくだけなので、出会いと別れへの準備、カオスな一日だ。毎日すばらしくいい声に囲まれていることには間違いない。幸せなことだ。こんやもこれから公演。朝は画家役、夜は王子役。0%からはじまるミッションと、85%終わったミッションに同時に向かい合う今日。やっぱりカオスだ。実にカオスだ。いってきます。(5月21日)


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なんとか病気もせず、"クレーリアの勝利"では全6公演で自分の責任を果たすことができました。つぎは"イタリア式離婚狂想曲"、全6公演(6/11から毎日)です。ぼくはこの劇場が好きです。愛があるから。ほんとはその愛についてもっといろいろ書きたいけど、ちょっとだけくたばってるので、またいつか。(5月22日)

その愛について書こうと思う。

"Signor Fujiki、出番ですよ"と、スピーカーで舞台監督からステージに呼ばれる。楽屋のまわりで待機している、衣装、メイク、靴、のスタッフ、出番を終えて着替えに帰ってきた歌手の同僚が親指をたてて、"がんばってこいよ"と言ってくれる。とにかく毎回だ。ぼくは、この公演中、一回も緊張しなかった。もちろんほどよい緊張感をもって舞台に出るけれど、足がふるえたり、ブレスが浅くなったり、そんなことはただの一回も起こらなかった。これだけのひとが支えてくれてぼくを舞台に送り出してくれているんだから、うまく歌えないわけがないのだ、と、心の底からそう思った。そして毎回ベストを尽くすことができた。むしろ、毎回少しずつうまくなることができたと思う。公演を聴きにきてくれたある人に聞かれた。"きょうの自分の出来は何点だった?"ぼくは迷いなく、満点だった、と答えた。自己管理をして、たとえ体が疲れていても、うたえる喉の状態で舞台に立つならば、プロとしては毎回満点であるべきだ。そして、これだけの愛に支えられているのだから、満点にならないはずがないのだ。こういうことを感じたのは歌手人生の中で初めてだった。


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公演最終日の本番の休憩中、いつも楽屋まわりにいて親指を立てて見送ってくれるみんなが、"ちょっとこい、おなかはすいてないか、最終日だからみんなでお祝いしよう"と。ぼくは休憩後に大事なアリアが残ってたので、それ終わってからにするわ、と答えて楽屋に引っ込んだ。そしたら、"なにいってんだおめー、とりあえず写真とるべ"と引っ張りだされ、みんなで写真をとった。アリアが終わって、ぼくが楽屋にかえってきたら、休憩中にみんなで食べた食べ物が置いてあった。ぼくの分をとっておいてくれたのだ。同僚のひとりは、"この劇場にはマンマがいっぱいね!あんたたちみんな、Troppo Mamma(お母ちゃん過ぎ)よ!"と言っていたのには笑った。


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愛のある仕事ってこういうことだと思うのだ。
こんな仕事をすることができた運命に大感謝。

千秋楽が23時に終演後、カーテンの裏でみんなで健闘をたたえて抱き合った。その後打ち上げをすることもなく、じゃーねーつって、同僚歌手はみんな散り散りに次の仕事場へ飛んでいった。マリア・グラツィアは翌朝7時のフライトでマケドニアに飛び、11時から「ルチア」のリハ。マリー・エレンはフィレンツェでヴィヴァルディのリハ。イリー二はアテネ、ヴァシリスはドイツ、ブルジュはフランス、ぼくはボローニャに残留。
もうこの全員が一同に会することは一生ないのだろう。この中の誰か一人とでも何かの仕事でまた一緒になれたらそれは奇跡的だと思う。それでも、たとえ一回しかみんな(しかも全員はそろっていない)でご飯を食べていなくても、ここで仲間としてひとつのオペラを創った3週間は一生わすれないだろう。オペラの仕事は一期一会だ。ぼくらはそれを十分楽しんだ。いいチームだった。


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みんな大好きだ。
さようなら、クレーリアの勝利。
さようなら、マンニオ。


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絵日記とりあえずおわり。


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追伸:



ボローニャ歌劇場開場250周年記念公演、オペラ"クレーリアの勝利"のイタリア公共放送での30分の特集番組ですが、リンク先動画の19分05秒くらいからぼくも1分くらい歌っているので、もしよかったらみてみてくださいね。イタリア語ですが、この番組からぼくの大好きな劇場とこのオペラの美しさは伝わると思います。(最初の数十秒広告が流れます)


舞台写真へのリンクはこちら

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
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