2014年2月アーカイブ

気づき。

音楽のことなら何でも知っているコーチ(スケートにもコーチがいるように、歌手にもいます。)のジム(Jim)と、パーセル(1659-1695)の「しばしの間の音楽」をやっているときに彼はふとこう言ったのだ。「パーセルは、2014年に日本人のカウンターテナーがコレを東京で歌うとは思ってなかっただろうね。」
ぼくたちは音楽の授業で、聖徳太子やナポレオンやリンカーンと同じような歴史上の人物として作曲家のことを習う。でもぼくたちが彼らの曲を演奏したり聴いたりするとき、彼らは歴史上の人物ではないのだ。作曲家はもうこの世にいなくても、その作品とともに現代を生きていて、作品が演奏されるたびに蘇る。だからぼくたちは、彼らがどういう人物だったか、その人生のどんな状況のときにその曲が生まれたのかということに興味を持つ。野球選手の入団1年目と10年目のパフォーマンスが同じでないように、ぼくたちが書く文章が中3のときと25歳のときで同じではないように、シューベルトだってモーツァルトだってそうであったはずだ。
それは例に挙げれば当たり前のことなのだけれど、フツーに現代を生きていると意外と気づかない。彼らの人生を想像するというよりも、ある歴史上の人物として考えるからだ。「野ばら」を、たった2ページ、2分か3分の3番まで歌詞がある「野ばら」として歌ったり聴いたりすることのほうが多いかもしれない。
生きるということにおいて、もし何かのきっかけで何か大事なことにせっかく気づくことができたなら、その気づきをうまく生かしたいなと思う。
ブラームスの「アルトのための2つの歌」も今度東京でやります。
ジムはまた言っていた。「ブラームスの生きた時代にはカウンターテナーはいなかったよね。男が歌うなんて想定してなかった。でもダイチが歌っていいよね。」
ぼくがいろいろな運命のおかげで時々何かに気づけていることは、とてもラッキーなんじゃないかなと思う。
もうすぐ、イタリアへの最初の留学をしてから10年になります。その10年間の半分以上はヨーロッパに居たはずです。もし日本にずっといたら、ぼくはいまこういうことを考えていたかな。シューベルトはいまでもただの歴史上の人物だったかもしれない。
最初に外国に住みたいと思ったモチベーションはなんだっただろうか。
オペラの生まれた国の空気を吸いたい、文化の違う国で言葉の違う人種と友達になりたい、イタリア人みたいな声が出したい・・・。そのころのそんなかわいい野望を考えると、たぶん母国を離れていることで犠牲にしたものもいっぱいあるんだろうけど、いい時間を過ごせたのではないかと思うのです。
彼らの人生の名場面を、1曲たった数分間だけど再現するために、こんな21世紀の現代まで生き残っている作品を愛して演奏するのが、幸いにも演奏する機会を与えられた音楽家の使命なのではないかと思います。
あっという間に2014年になって、あっという間に2月になっているかんじである。2月は出演がひとつもないので、じゃあそういうときはなにをしているのですかとよく訊かれるのですが、休んでいるわけではないのですよ。世の中に誇れる趣味もなく、人と群れるのがそんなに楽しいタイプでもないわたくしは、とにかく目前にある3月と4月のコンサートに向けての実質的な準備と、ヨーロッパでの営業活動と、34年モノの楽器のメンテナンスに時間を使っています。むしろ土日もなく同じことをしています。こんな時間がウィーンでとれるのはとても贅沢なことで、このような環境があることと、それを整えてくれているひとたちにただ感謝するのです。


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そろそろ振り返らないとマジで忘れるので書きますが、お正月のNHKでのニューイヤーオペラコンサートでは本当にいい経験をさせていただきました。ウィキペディア先生によるとNHKホールは3601席あるそうですが、チケットは完売だったとのことで、開演前に楽屋に大入り袋が届けられました。それがお正月に全国に生放送され、録画であとから観た方もいたでしょうから、とにかくぼくの音楽人生でいちばん多くのひとにうたが届いた日でした。大変ありがたいことでした。
高校生のときからテレビで観てきた歌手の方や、ずっと昔に共演した先輩たちや、10年来の同期とリハーサルのときから一緒で、年末年始のうきうきとした雰囲気と、同窓会のような懐かしい気持ちと、どんな歌うたっても生で流れるぞというプレッシャーと、それはもういままでに経験したことのないものでした。そんな中で自分なりにいつもの歌が歌えたのは、あの舞台と番組を創るために、そのコンサートの中でぼくという歌手がひとりで3分間歌うために、どれだけの人がオフステージで支えてくださっているかを実感できたからだと思う。テレビでみえるのは本当に一部分で、みえないところではものすごい量と質の仕事が行われていて、大勢のプロの人間の力と情熱が注ぎ込まれている。これはイタリアのオペラハウスでオペラに出たときにも感じたことだけれど、冷静に考えたらどんなに緊張しそうなシチュエーションでも、これだけの人が支えてくれているのだから、自分は集中していつも通りのことをやっていればいつも通り歌えないわけがないのだ、と思えるようになったのです。
ちょっと前までは舞台でなにか失敗することを恐れていて、聴いているひとが自分のことをどう感じるかがあまりに気になっていた。その恐れとか心配を、近年の経験で乗り越えられるようになった実感があります。
その日もうひとつ嬉しかったのが、学生のころや研修所にいたころからお世話になったり顔見知りだった合唱団のひとたちが個別に声をかけてくださったことでした。元気そうだね、とかそういうのじゃなくて。10年くらい前のぼくの歌を覚えている人たちに再会して、いまかけてもらえた言葉というものにものすごい重みがありました。ありがたかった。


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NHKが終わったらすぐ金沢にいったのです。
オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)とのニューイヤーコンサート・ツアー。
マエストロ(井上道義さん)が、ぼくが日本音コンで優勝したすぐあとに「めでたい、ほかのひとたちとやる前にOEKとやろう!」と言ってくださって決まった話でした。カウンターテナーになったぼくがまだなんの結果も出していない時から可能性を認めて応援してくださったマエストロにはものすごく感謝しているし、だからこの共演は本当に嬉しかった。そして中村恵理ちゃんとまた一緒に歌えたことはもう運命に感謝するほかなかった。彼女と新国立劇場の研修所で同僚になって12年がたって、今回NHKのリハからOEKツアーの紀尾井ホールまで一緒にいた2週間くらいでその12年分は話をして、一緒に笑いました。とにかくいろんな時代をそれぞれに過ごして、外国でそれぞれに歌って、日本で共演できた。奇跡のようです。また一緒に歌える機会がきっとあると思います。
オーケストラの皆さんはいつも温かくて、通常1公演だけの客演だと話をすることもなくお別れしてしまうけど、今回は4公演あったので、顔なじみになってちょっと話をすることができました。「みんな喜んでるよ、また来てね」と言ってもらえて嬉しくないソリストがどこにいるだろうか。本当にありがたい。


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1月31日はシューベルトの誕生日でした。ウィーンのぼくの家の近くにシューベルトの生まれた家があるのです。誕生日だから混んでるかなと思ったけど、貸し切り状態で1797年に想いを馳せることができました。
このメガネをかけていた彼の歌を、3月もその先も大切に歌いたいと思います。


【よろしければごらんください】

1/15 OEK公演レビュー(音楽評論家・東条碩夫氏による)



【今後の予定】

3月13日(木)13:00   神奈川県立音楽堂(神奈川)詳細
3月28日(金)18:30   国立科学博物館(東京)詳細
4月 9日(水) 19:00   東京文化会館(東京)詳細

【お礼】

各連絡先に私宛にいただいておりますメールやメッセージにはお返事ができないこともありますが、読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
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