2015年1月アーカイブ

学びのパレード。

音楽を続けていてよかったな、と思える機会が最近たくさんあるのです。

1月17日に宮崎で歌いました。「ハーモニーinみやざき」という、主に小・中学生の合唱の祭典の30周年のゲストで20分ほど。出番は最後だったので、前半はしばらく、勝手知ったるアイザックスターンホールの客席で、みんなの演奏を聴いていました。ぼくはこの祭典に中学生のころに合唱部の一員として出演したことがあって、あとで記録誌をいただいたところによると、それは22年前の出来事だったみたいでした。だからステージの上のみんなの顔に、そのころの自分の顔をなんとなく重ねて聴いていました。歌が好きで一生懸命練習して、晴れの大舞台で歌を歌うときのみんなの顔がですね、それはそれはいい顔なのです。歌を好きなことが伝わってくる顔というかね。よかった。

そのあと楽屋で準備をしていると、小学校6年生のときの担任の先生が訪ねてきてくださったのです。当時わたし11歳、先生28歳。ミツユキ先生、全然変わってなかった。まじで。

終演後、こんどは小学校5年生のときの初めての音楽の先生も訪ねてきてくださったのである。キモト先生。まったくそれ以来。小学校は5年生から音楽は専門の先生の授業だったから、人生初めての音楽の先生である。小学校には合唱部があって、同級生で仲良しだったマツシタ君もヒラタ君も楽しそうに歌っていたし、ぼくも本当は誘ってほしかったのである。でも小学生男子、合唱をやりたいなんて自分では言い出せなかったのである。というお話をキモト先生には24年後にいたしました。

中学に入り、野球部で芽が出なかった少年を、野球部と合唱部、掛け持ちでやらないか、とようやく合唱部に誘ってくれたのがマキハラ先生で、そのおかげで胸を張って歌い始めることができた。今回のゲスト出演はもともとマキハラ先生からいただいたお話だったので、もちろんマキハラ先生にも会えて、実に恩師オンパレードだった。

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左が牧原先生で、右が木許先生。

声楽を習い始めて高校生のコンクールなどに挑戦していたころ、結果がよいと新聞に名前が載ったりしていたわけですが、ミツユキ先生も、キモト先生も、自分がいまこういうことをやっている、ということを見つけてくれないかなー、とか、正直なところ、ちょっとは思っていたわけです。ネットもない、メールもない時代でした。新聞に名前が出れば、先生たちや、違う学校に行った同級生たちにも見てもらえるんじゃないか、と思っていた。そういうのも頑張りのモチベーションになっていた気がする。

それからだいぶ経ったけど、20年以上ぶりにお話をしていたら、先生たちは見ていてくださったようでした。だからよかったなー、と。ずっと続けていたから会えたなー、とそう思ったわけです。

合唱界のレジェンド、宮崎学園高校の有川サチ子先生とは初めて少しだけゆっくりお話ができたわけです。NHKの合唱コンクールでね、わたしは25回、NHKホールで指揮をしてるのよー、と。有川先生は特別いろいろとはおっしゃらなかったけれど、短い時間での対話にも多くの学びがありました。

いつも思うのだけれど、何事も続けること、持続させることが一番難しい。花火を一発上げることは努力と運とタイミングが重なればできるかもしれない。難しいのは続けることなのだ。


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もうひとつ嬉しかったのは、わたくしとピアノで共演をしてくださったトリハラ先生が、自分の学校の子たちにも聴かせたい、と言ってくださって、学校の芸術鑑賞会に呼んでいただけそうなことだ。

常々、音楽という人類共通の言語を通じて、その場限りでなく、その先に長くつながる人間的な仕事がしたいと思っている。初めて自分の歌を聴いて、あるいは自分と共演をして、また聴きたい、また一緒に音楽がしたいと思ってもらえたなら、時間と精神力を注いできたことが報われたな、と思えるし、いつもそういう仕事をしないといけないと思っているのである。だから、よかった。

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お世話になった先生方と。ありがとうございました。

ニューイヤー+オペラ。

あけましておめでとうございます。

NHKニューイヤーオペラコンサートを会場と放送でご覧いただきました皆様、どうもありがとうございました。今年もとても楽しかったです。ただ楽しかった、って言ったらやっぱり軽いな。本当はとても大変です。スケジュール、体調管理、精神管理、生放送のプレッシャーとの戦い、楽曲との対峙。

でもね、あの番組を作って全国に放送するために、歌手と演奏者以外のスタッフのみなさんはもっとずっと大変なのですよ。舞台裏のすべての役割は到底書ききれないほど多くて、ものすごい規模でものすごい人数がものすごい能力でものすごいプロジェクトを全力で動かしている。

だから、ぼくには歌手なりの、しかもちょっといつもとは違う特別な大変さはもちろんあって、それなりにナーバスになってはいるのだけれど、衣装を着せてもらって、メイクをしてもらって、舞台を作ってもらって、明かりを照らしてもらって、その中に初めて登場していく、放送開始直後のオープニングのシーンね、舞台上で始まった音楽を聴きながら舞台袖で自分の番を待っているときに、もう泣けてくるのです。あぁ、今年もここに呼んでもらえて本当によかったなぁ、こんなメンバーの中の一人にしてもらえて嬉しいなぁ、こんなプロフェッショナルなみなさんに支えてもらって舞台に送り出してもらえて有難いなぁ、と、まだ歌ってもいないのに、これから歩くだけなのに泣けてくるわけです。

今年の出演が決まって、リナルドのアリアも決まって、そのあとそれが初のバロックオペラコーナーでのバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)との初共演とわかったとき、あー、まじかー、人生すごいなー、と思いました。

昔のブログを引っ張り出せばわかるけど、カウンターテナーにかわろうかと思って、いろんな人に声を聴いてもらって意見を求めていたとき、旧知の鈴木優人さんにも久々にメールをして、ご自宅にお邪魔して聴いてもらったんですね。彼がチェンバロを弾いてくれて。今でも忘れないけれど、1-2曲終わったあと、楽しかった、と言ってくれた。そのあと、父にも聴いてもらいますか?と。翌日、ぼくはBCJの練習場にお邪魔して、練習がはじまる前に1-2曲聴いていただいた。芸大の学生のときぶりにお会いする鈴木雅明さんに。そこでいただいたお言葉は、おそらく歌手人生に関わることだからかなり選んでくださった言葉だったと思うのだけれど、ぼくは勝手に前向きに受け止めた。

ヨーロッパに戻って、カウンターテナーのトレーニングを始めて、いろんな挑戦をする中で、おまえは日本人だったらヨーロッパじゃなくてマサアキのところで一緒にやればいいじゃないか、最高のバッハじゃないか、といく先々で言われた。そのくらい鈴木雅明さんとBCJは世界的に人気があり認められている存在で、ぼくだってずっとBCJと一緒にやりたいと思っていた。それがついにできたのだ。だからもう今回、雅明先生の指揮で、BCJのサウンドの中に存在できるだけで幸せだった。

バロック。オペラの世界では、バロックと現代モノは、日本ではちょっと特殊に扱われていると思う。みんなその間の時代のカルメンや椿姫や蝶々夫人やワーグナーには慣れているけれど、「バロック」にも、「現代モノ」にも、上演機会が少ないからかあまり慣れていない。その名称でひとくくりにして、それ以上の理解をしようとはあまりしていないように思えるのだ。テノールの時のぼくもそうだった。

カウンターテナーになり、もしオペラをやるならバロックと現代モノが主なレパートリーになり、それからもちろん自分なりに勉強はしたけれど、ぼくがバロックが専門の歌手かどうかといえば、普段多く歌っているものを考えればむしろ真逆だし、今年のニューイヤーオペラにバロックコーナーが設けられて、BCJがゲストで来て、おれがソリストでアリアを歌うなんて、卒倒しそうなニュースだったのである。練習していたら、これにはどう考えても日本のバロックオペラの未来がかかっている。バロックオペラの魅力を全国に伝える使命がある。おれが!ちゃんと伝わったらヨーロッパのようにもっと上演されるようになるかもしれない!という気分になっていた。

昨年は初出場で何もわからない緊張、今年は使命感による緊張だったと思う。それが結局、本番でBCJのど真ん中に立たせてもらったら、なんにもなくなった。こんな生き生きした音楽を、おれも生き生きと楽しめばいいんだと思った。贅沢で幸せで、本当に楽しかった。

過去に一度だけ、大学3年生のとき、鈴木雅明さんの指揮でマタイ受難曲のコーラスを歌ったことがあったのです。ぼくは人生でバッハを初めて歌った。打ち上げのとき、雅明先生に、バッハをご一緒できていい勉強になりました。と申し上げたのです。それに対するお返事が忘れられない。大地くん、それはよくない、コーラスの出演料をもらったんだから、勉強じゃないんだよ、仕事なんだよ、と。打ち上げの酔っ払い学生だったわたくしはそれでも、いや、でも勉強になったんです、としつこく言った気がします。

ようやく鈴木雅明先生と本当に仕事ができた。BCJと共演できた。しかもNHKニューイヤーオペラコンサートで。サイコーだった。

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恩師、鈴木寛一先生の門下生、兄弟子の石丸幹二さんと望月哲也さんと、同じ場所に集まれたのも嬉しかった。鈴木寛一門下生3人で。

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今年もよろしくお願いいたします。

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
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