修行の最近のブログ記事

マウンテン。


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ネットでリサーチをしていて、母校の大学のサイトにぶつかった。


ぼくがそのとき調べていたことは、


「日本人ではじめて(クラシック)音楽留学をしたのはいつでだれか」


ということなのだけど、


それが一体なににつながっていくかというと、


「開国後に日本にどのように西洋音楽が輸入され、音楽教育がなされたか」


なのですが、まあその結果はきょうはおいておくことにして、


とにかくそれに深く関わっているのは母校なんですね。


同じサイトに、声楽科の同級生のインタビューがのっていました。


彼とは高校時代から時々会う機会があって、


高校時代のコンクールもいくつか一緒だったし、


受験前のレッスンも一緒に通ったし、入学してからも一緒のことが多かった。


東京で初めて住んだマンションの蛍光灯の設置を手伝ってくれた、


といえば大体の一緒ぶりがわかるとは思うのだけど、元気そうでよかった。


もう7-8年会ってないけど、活躍ぶりはいつも耳に入ってくるので心配はない。


高校生だったぼくたちには大学受験はとても高い山だった。


ふと今、大学のサイトをみたり、彼のインタビューを読んだりすると、


いや、あのころそうだったよなー、と。


もう15年も経って、でもオフィシャル・アンオフィシャルな場を問わず


いまだに大学受験のことを話題にされることがあるのだけど、


うーん、確かにあのときはそのどれくらい高いかもわからない山を目指して、


高校生の自分はできるかぎりの努力はしたと思うのですよ。


でもあんなに高かった山は、もう遥か昔にあって、実際ほとんど忘れていて、


そのあともいろんな山はあったと思うけど、


いまはまったく違う山に立ち向かっている。


15年前の山が3000メートルだったとしたら、


いま目の前にある山はたぶん30000メートルだ。


スーパーサイヤ人にならないと登れないかもしれないなら、


スーパーサイヤ人になるしかないと思うのです。

イギリスでヘンデル。


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日本からヨーロッパにかえってきて、


ウィーンには3日くらいいたかな。


部屋の片付けもままならぬまま、


たった10日の不在で冷えきった部屋(帰宅時室温3.5度)もあたたまらないまま、


ロンドン。


そして、南へ。


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イギリスの南はじの、こんな海の近くの村で、


イギリスの作曲家(ドイツ生まれ)、ヘンデルを教わった。


そして、またロンドン。


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準備中。


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そして、ここで歌った。


1月くらいから、


特にこの10日間はこのイギリス滞在も含めてヘンデル漬けでした。


ヘンデルの国イギリスで、


日本人のぼくが実際どこまでやれたのかはまだわからないけれど、


集中して漬かれたことで、


いままで見えなかったものはすこしだけ見えたように思う。


けさウィーンにかえってきて、


彼からちょっとだけリリースされたきょうが誕生日(1685年)なんて、


なにかの巡り合わせか。


生まれて327年たっても輝き続けるヘンデルはすごい。


もちろん同年生まれのバッハも。


あしたから1ヶ月くらいはバッハに漬かります。


ちょっとずつでも、彼らが遺した世界に近づきたい。


そのためにもっと歌うまくなりたい。


なんかいまは、それだけだ。


Happy Birthday, Handel!



ロンドン留学中のわしお後輩(ソプラノ)との


2年ちょっとぶりの再会もいとをかし。

体が資本。

 

14.01.12.hori.jpg土曜日。

 

勝手に「サタデー・フジキ・ヘンデル・フェスティバル(SFHF)」と名付け、

 

ひたすらヘンデルの曲を勉強したのだ。

 

ここでいう勉強というのは、

 

この曲を近々やらねばならぬ、という状況になったとき、

 

まずその曲とその曲が含まれているオペラやオラトリオの背景を勉強し、

 

次にその場面の歌詞を勉強(知らない単語の意味や発音を調べたりとか)し、

 

次にようやく自分でピアノをたたいて音とリズムをとり、

 

大体体に入ってきたらピアニストやコーチとアポをとって弾いてもらい、

 

リズムや音程がおかしいところを直してもらいながら曲を覚えていく。

 

それでようやく人前で歌える状態になるのです。

 

もちろん本番の共演者が別いる場合はその都度合わせが入ります。

 

歌手の「勉強」ってこういうプロセスをいうのです。

 

ちなみにCDにあわせて歌って歌詞や曲を覚えていくという、

 

いわゆる「レコ勉」は、歌手養成教育の過程ではぜったいやるなと教わります。

 

CDのひとが正しい発音とリズムで歌っているとは限らないし、

 

そのひとのくせまで自分についちゃうからね。

 

なんかまじめな話が長くなったけど、

 

カレンダーをみていて、

 

この先数カ月の自分の予定をみてみるところによると、

 

こういった時間をとれるのがいましかないことが判明して、

 

日曜日は「サンデー・フジキ・バッハ・フェスティバル(SFBF)」

 

になる予定である。

 

最近少し体調が絶好調でなくなったとき、それを誰かに報告すると、

 

きまって「体が資本」とたしなめられるのである。

 

なんかもうまさにそのとおりで、体がどうかなったら歌えないわけで、

 

規則正しい生活をして、野菜をたべて、ストレッチをして、風邪の予防をして、

 

自己管理しないといけないわけなのだけど、

 

たとえば近々に自分がプロデュースする公演があったり、

 

数か月後の旅のアレンジをしないといけなかったり、

 

エージェントや劇場に売り込みをしたり、

 

進んでいる話のフォローをしたり、

 

マーケティングや情報収集をしていると、

 

やっぱり結構な時間パソコンにむかって変な姿勢でなにかやってるわけで

 

大体午前中かおやつの時間くらいまでにそういうのをすませて、

 

そのあと「勉強」しようとすると、もう体ががちがちなんだよね。

 

頭も体もなかなかうまく切り替わらない。

 

よくないと思いながらも、どれもこれもやらないといけないことで。

 

どーすればいいんでしょうか。

 

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全然話変わるけど、オランダという国を最初に訪れる前、

 

もっというとヨーロッパをほとんど知らないころ、

 

オランダのイメージって具体的なものをあまりもってなかったんだよね。

 

長崎オランダ村くらいかな。行ったことなかったけど。

 

で、実際にいってみるとですね、いいところです。

 

アムステルダムは運河の街。キャナルシティ。

 

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建物の色や道の雰囲気をみると、イギリスに近いイメージ。

 

考えてみれば、ドーバー海峡はすぐそこなので、当然。

 

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繁華街はこんなかんじ。

 

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この街もいろんな顔をもっている。

 

アムステルダムの有名なコンサートホールは、コンセルト・へボウ。

 

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ヨーロッパのホールや劇場って、道をすぐそばにたっていること結構よくある。

 

ウィーンの楽友協会も、ミラノのスカラ座もこんなイメージ。

 

もちろん広場にたっていることも多いけど、仰々しくないんだよね。

 

生活の隣にあるというか。

 

世界の駅舎から。

 

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これはドイツの駅のイメージに近いというか、一緒。

 

最初にオランダにきたときはドイツから列車で2時間くらいで来たんだった。

 

だからそれも当然。

 

ちなみに、ベルギーゆきの電車も多かった。陸続きだからね。

 

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まさに電車。

 

用事以外はゴッホとレンブラントしか見てないと書いたけど、

 

オペラを1公演見たんでした。

 

いま会うべきだった3人のうちのひとり、

 

東京でオペラを習った演出家のハンスにアムステルダムで会って、

 

「オケピットにスイミングプールが設置されたオペラがみたかったらみにゆけ」

 

と言われたので。

 

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たしかにプールだった。オケは舞台上です。

 

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客席はモダン。

 

どうでしょう。

 

アムステルダム、こんなかんじ。

 

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アイアムステルダム。

 

こういうのすき。「うどん県」もすき。

 

なんか旅行記みたいであれですが、

 

オランダを知る一助になれば。

 

ちなみにアムステルダムのスキポール空港は最高です。

 

トイレに、便座除菌クリーナーがついてる。感動した。

 

便座もないイタリアの空港のトイレとは大違いでした。

 

イタリアすきだけど、イタリアのトイレはきらい。

 

なんか長くなりましたが、

 

体が資本、と思い、今日はパソコン仕事を少しやすみました。

 

その分、youtubeでなんでもない動画をなんとなくみてみたり、

 

頭をリラックスさせて、肩がこらないことをやってみた。

 

今日の文章も、そんなかんじで。

 

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カフェにおいてあったなんのためなのかわからないプラカード。

 

彼女たちはケンカしてたわけじゃないけどね。

 

あ、来週末コンサートで、ブリテンの曲やるんだった。

 

カウンタテナーとテノールのためのデュエット。

 

あしたはバッハとブリテン祭(SFBBF)だな。

 

おやすみ世界。

 

冒頭の写真と本文はあまり関係ありません。

夏のおわりに。

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こんにちは、ふじゅきDaichiです。

 

よくあることです。

 

スペルが間違ってたり、女性だと思われたり、いちいち気にしていられません。

 

アツい夏でした。充実した夏でした。

 

アツすぎて没頭しすぎて、あまりに何も書けなかったので、

 

夏のおわりにちょっと振り返りたいと思います。

 

7月初旬に以前ご報告したコンクールがあり、

 

終わった翌日にイスラエルに飛びました。

 

ぼくはイスラエルという国について、

 

今年自分がいくと決まるまではなにも知らなかったし、

 

実際行ってみて感じたこともあるので、

 

うまく伝わるかわかりませんが、せっかくですので少し書きます。

 

地中海に面したテルアビブという都市で4週間、

 

オペラのサマープログラムでした。

 

テルアビブは大都市ですが、首都はエルサレムです。

 

しかし、国際的には(たとえば国連は)

 

テルアビブが首都であるとみなしています。

 

イスラエルに入国するとき、イスラエルから出国するとき、

 

パスポートにイスラエルのスタンプをもらうと、

 

その後イスラエルと国交のない国々(アラブ諸国の一部)からは、

 

入国を拒否されるそうです。

 

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ということで、自分の判断で入国も出国も別紙にスタンプを押してもらいました。

 

ただし滞在中にパスポートの提示を求められたときに、

 

入国の履歴がないためにトラブルになる可能性もあると言われました。

 

そういう国もあるのだ、と理解するしかないのです。

 

サマープログラムでは、コンサート出演などもあったのですが、

 

基本的には毎日、数時間のレッスンを受けていました。

 

NYのメトロポリタン歌劇場の音楽家が中心になって

 

バケーション期間中にオーガナイズしているプログラムだったので、

 

参加者はアメリカからの歌手が半分、

 

地元イスラエルの歌手が半分といったかんじで

 

ぼくのようにヨーロッパから飛んできて参加した歌手は多くありませんでした。

 

とにかく毎朝ホテルからシャトルバスに乗って音楽ホールまでいき、

 

1日中そこでレッスンないしリハーサルをやって、

 

また夕方にバスでホテルに帰るという生活で、

 

おそらくこういう生活は東京の新国立劇場で3年間、

 

朝から晩までオペラの研修をしていた時代ぶりで、新鮮でした。

 

あのパヴァロッティが、故郷で歌を習い始めたときには、

 

師匠のところで基礎の発声レッスンを毎日受けて

 

あの輝かしい声のベースをつくったという話は有名ですが、

 

特に最近レパートリーというか声種をかえたぼくにとっては、

 

その話を思い出すような毎日でした。

 

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バルバラ・フリットリの師匠である、

 

イタリア人のマエストラ・カネッティのレッスンでは、

 

テノール時代にイタリアで 習ったことをやはり繰り返し言われるんですね。

 

どの声種でも基本はまったく一緒であることを確認できたし、

 

ルネ・フレミングのコーチであるジェラルドは、

 

名だたるカウンターテナーへのコーチをした経験も多くあって、

 

その共通した基本の先にあるテクニックのヒントをくれました。

 

そして自分自身もファルセットで歌うアイラは、

 

のどや身体の、最近新しく使い始めた筋肉をどう馴らしていくか、

 

一緒に声を出しながらそういった訓練をしてくれたように思います。

 

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とにかくすべてのことが今の自分がどうしても知りたかったことだし、 

 

ヒントはあげたからウィーンに持って帰ってあとはおまえ自分でやれよ、

 

と、そういうことを教わりました。

 

こんなに短期間でこんなに色々なことを言われて、

 

5年前だったら迷いが生じていたと思うのだけれど、

 

やはり時は経ったというか、

 

いろんなニュアンスの言い方の中の、根っこの部分は共通しているので

 

それを拾って消化するというか、そういうことができるようになったと思います。

 

自分の持っている声を最大限に生かして健康的に出す方法は、

 

おそらくひとつしかないんですね。

 

それを、いろんなひとがいろんな言い方で表現しているだけで。

 

自分の声のポテンシャルは、持っているもの以上にはならないので、

 

それに向き合って少しずつ磨いていくしかないし、

 

どう、自分が持っている一番美しい声をいつでも出せるようになるかが、

 

声のトレーニングなのだと思います。

 

書いてみるとそれ当たり前なんだけどね。

 

音楽の話は書くとどんどんマニアックになるのでこれくらいにしますが、

 

毎日通っていた音楽ホールで

 

休憩中にコーヒーを淹れてくれていたイスラエルの少年がいて、

 

彼は18歳なんですが、

 

夏が終わったらどうするの?来年もここで働くの?と訊いたら、

 

今年中に軍隊に入るんだ、と言うんですね。

 

また町を歩いていると、軍服姿でひとり歩く少女をよく見かけました。

 

イスラエルでは男子だけでなく女子も18歳で兵役があるんです。

 

またホテルでルームメイトだった

 

NYでジュリアード音楽院に通う韓国人の歌手も、

 

この秋に受ける国際コンクールで上位に入らなければ

 

軍隊にいかなければならない、

 

そうなるとこれまでせっかく鍛えてきた声も軍隊生活の間に衰えてしまう、

 

だからいま必死にうまくなって結果を出すんだ、とがんばっていました。

 

韓国の歌手が世界のオペラ界で多く活躍している理由として、

 

よく顔の骨格や声帯など、フィジカルなことが話題になりますが、

 

軍隊を経験する前のハングリーさ、経験したあとのメンタルの強さも

 

大いにあるような気がします。

 

 20代前半まで当たり前のように学校に通わせてもらって、

 

当たり前のように「青春」を楽しんだ日本の自分が想像もしなかった現実があり、

 

また、いつ近隣の国からミサイルがおとされるかわからない、

 

という、命にかかわる恐怖を常に心のどこかに持つイスラエルの人を知り、

 

またそのイスラエルの中にも壁で隔たれた、

 

ニュースでしか知らなかったパレスチナ自治区があって、

 

そしていままさに戦闘が行われている地域があって、

 

この夏みっちりと音楽を学んだ以上に、

 

自分のこれまでの経験とか、信じてきた常識とか、

 

もうまったく関係のないところにある生活があることを

 

少しだけ知ることができました。

 

その中で西洋音楽、いわゆるクラシック音楽の根源にある

 

キリスト教の聖地であるエルサレムを実際訪れ、

 

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エルサレムはキリスト教だけでなく、

 

ユダヤ教、イスラム教の聖地でもあるのですが、

 

世界中の、それぞれの神を信じるひとの

 

心が集まった場所にしかない「重さ」を感じ、

 

キリストが判決を受けて、十字架にかけられ、

 

処刑されるまでに歩いた道をたどり、

 

ようやくバッハやヘンデルのオラトリオに歌詞として出てくる

 

「エルサレム」、「イスラエル」、「シオンの丘」などの言葉の持つ重さも

 

少し想像できるようになったような気がしています。

 

そして、キリストの生まれた地、ベツレヘム。

 

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ここは実はパレスチナ自治区にあたります。

 

この中に住むパレスチナの人は、

 

壁の外のイスラエルには出られないことになっている。

 

パレスチナの外にある病院にいくとか、学校にいくとか、申請して

 

公式に発行されたパスに指定された場所以外に出かけると、拘束されるそうです。

 

パレスチナを案内してくれたひと(アラブ人)に、同行した友だちが訊きました。

 

「ユダヤ人(イスラエルのひと)のことは嫌いなのか?」

 

「それは私からは言わない。

 

私たちの感情のもっと外で、

 

和平のために力を尽くしているリーダーがいるから。」

 

イスラエル滞在で一番鮮烈な言葉でした。

 

平和を祈ります。

 

これからやっと、本当の意味で平和を祈ることができる気がします。

 

夏の話はまだあるのですが、

 

イスラエルで感じたことが多すぎて相当長くなってしまったので、

 

時間があればまた書きます。

 

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↑死海なう。

マーティンの言葉。

1年ぶりにマーティンに会った。

 

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世界的、という言葉はひとを形容するときに

 

(とくに日本で)結構だれにでも簡単に使われてしまうけれど、

 

マーティン・カッツは間違いなく「世界的な」声楽伴奏ピアニストだ。

 

カレーラス、バトル、フローレス、ダニエルス、マッティラ、フォン・シュターデ、ホーン etc

 

「世界の」名だたるスーパー歌手たちが、マーティンをコンサートの共演に指名した。

 

彼と知り合ってから7年になるけれど、

 

50代だった世界的な彼に20代だったクソガキのぼくが

 

「なんでも遠慮なく言え、おれたちはもう友だち=firendなんだから。おれもなんでも言う。」

 

と言ってもらえる関係をずっと保ち、

 

トウキョウ、ボローニャ、ヴェネツィア、ウィーンでたまたま滞在のタイミングが合い、

 

1年くらいの周期で再会しては、音楽にまつわることもそうでないことも話しあってきた。

 

忘れもしない、2004年の5月のボローニャ。ぼくは24歳だった。

 

自分の声のことでいままでで一番深く考え、悩んだ時期。

 

マーティンは言った。

 

「リミットを決めよう。

 

これから6年努力して、30歳までに"うまく"歌えるようにならなければ、歌手はやめるといい。

 

やめるきっかけがなく、ずっと音楽を求めて、認められず、

 

ハッピーじゃない音楽家を何人も知っている。やめる勇気だって重要なんだ。

 

音楽だけが人生じゃないし、おまえならほかの仕事でもできる。

 

おれはともだちとして、おまえにハッピーに生きてもらいたい。」

 

彼の言う"うまく"は、フツーの"うまい"じゃないはずだ。

 

きのう、今年でその30歳になったぼくは、マーティンに歌をきいてもらった。

 

「おれは友だちとして絶対本音を言いたいから、きょう声を聴く前すごく不安だったんだ。

 

もしネガティブなことを感じたら、おれはお前を傷つけないといけなかった。

 

Daichi, おめでとう。きょうおれが聴いたものは、本当に美しいと思う。前へ進め。」

 

と彼は言った。

 

たぶん、なにかがはじまった。

若き日のガクフ。

今日、久々に開いて練習した曲。

 

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平成9年2月7日にレッスンに持っていったようだ。

 

おととい歯医者に行って、「平成18年からいらしてませんね」といわれたので、

 

「いま平成何年なんですか?」と尋ねたら22年なんだそうですね。

 

じゃ、13年半前ですか。

 

「リズムどおり」「ひびき」「積極的に」・・・

 

13年半前、先生は的確に指導してくださったようだ。

 

その指導の跡に添ってうたい、次の小節に目をうつしてみた。

 

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暴君。

 

そっか。

良薬、口に鉛筆の味。

7月に入って、ようやくノドセキ風邪が治りました。

 

「やばいかも」と思ったのが忘れもしない6月8日だったので、

 

ちゃんとした声が出せるようになるまで3週間以上かかりました。

 

欧州は6月が年度末で、やらなければならぬことが特盛りつゆだくだったのですが、

 

どれもこれもが不完全燃焼で、反省を次へのエンジンにするしかありません。

 

耳鼻科にも3回通いました。

 

のどが痛いとき、ぼくは日本ではかならず耳鼻科にいきます。

 

ウィーンでも、まず診察してもらいそのあと吸入をしました。これは日本と同じでした。

 

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のどを診てもらっているときに声帯の動きもチェックしてもらうのですが、

 

ちょっと今までと違ったのは、そのようすをビデオに撮って見せてもらったことでした。

 

自分の声帯写真はもらったことがあったけど、

 

動いている自分の声帯を見たのは初めてでした。初めてはおもしろい。

 

で、完治まで飲み続けた恐怖の薬たち。

 

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この真ん中のやつはせきどめなんですが、しょっぱくてまずかった。

 

苦い薬ならイメージ通りなので多分なんとでもなるんだけど、

 

しょっぱい薬は想定外できつい。3週間飲んでも慣れなかった。

 

あといくつか、タブレット状の水に溶かして飲む薬が出たのだけど、

 

説明を読まずに口に入れて水も使わずにそのままのみこんだら、

 

胃の中でしゅわしゅわと暴れ始めたのでたまげました。

 

あわてて水を飲んだら胃の中でさらに発泡したのでまいった。まじで。

 

しかも飲んだ水が炭酸水だったので、ちょっとした噴火でした。胃の中が。

 

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↑最後に、お医者さんに「お茶だけど苦いよ」と言われだされたのがコレ。

 

↓「ハイビスカスの根っこのお茶」だそうです。

 

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「お湯で煮たらいけません。冷水に入れてで2時間以上放置してください。」

 

という注意書きのあるお茶でした。言われた通りやってみた。

 

なんというか、鉛筆の味がした。

 

学校のころ、なんとなく鉛筆のうしろかじっちゃったときのあの味。

 

反省はいろいろあるけれど、経験もできたということでポジティブにいきます。

 

でも、風邪はひくなということです。

 

しょっぱい薬と鉛筆と思うように声が出せない悔しさは、もういいや。

地球めっちゃ変。

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世界のトラム窓から。

 

ついに白状しますが、10日ほど風邪をひいています。

 

ここ1週間から10日で気温差が24度もあるのですよ。

 

一時半そでとかタントップだった世の中が、またジャンパーを着ています。

 

まわりのみんなも似たような風邪をひいています。

 

症状は・・・・、体そのものは元気。頭痛も腹痛もないし熱も出ない。

 

でものどが痛み、声がかすれ、タンがからみ、せきが出る。

 

結果=まともに歌えない。

 

むかし高校のころ、同級生に水泳の得意な内田くんという子がいまして、

 

やはりぼくが風邪をひいてマスクして口もきかずにしょんぼりしていると、

 

「うたえないふじきはただのふじきやな」

 

と、ぼそっとその内田くんにクリティカルヒットを頂戴したことを思い出します。

 

「とべないブタはただのブタ」みたいな。

 

きのうオペラ座にワーグナーの「タンホイザー」を観にいって、

 

この主役テノールの役は健康であってもとっても大変な役なのですが、

 

すばらしい名唱のなかにときどき垣間見える声の状況から推測するに、

 

主役テノールの彼も同じ風邪をひいていたのかもしれないと思ったのですね。

 

でも、ちゃんと巧みに声をコントロールしながら最後まで大事故なく歌いきった。

 

満場のお客さんを喜ばせた、「オーストリア宮廷歌手」の称号を持つその歌手の

 

プロ魂をものすごく近くで間の当たりにして、なんの称号も持たないぼくは

 

「15年前のただのふじき」のままだと、いつまでたっても「ただのふじき」だなぁ、

 

と、思ったわけです。

 

だから風邪ごときにしょんぼりしてないで、

 

いまの状態でのベストを尽くすしかないんだなぁ。

 

そのときのベストを尽くして出てきた声や音楽は、

 

それを自分から出たものとして受け入れるしかないし、

 

その中から何か反省が生まれるのなら、あとで十分に反省すればいい。

 

「反省しても後悔するな」と中学のときに歌った合唱曲の歌詞にありました。

 

何も考えずにずいぶん気楽に歌っていたものですが、多分それが正解。

 

あ、書いてみたら考えがまとまったから寝よう。

 

おまけ。スミスさんちの柄みたいなパリの地下鉄のイス。

 

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世界のメトロから。

土曜は靴を履いていない。

ウィーンでは文化経営学研究所の大学院生でもある私は、

 

月曜日に「労働法」「芸術家社会保険」の試験を控え、

 

土曜日は14時間以上↓の景色を見続けました。

 

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勉強中、気晴らしに見ていたネットニュースで、

 

桑田投手が「早稲田大大学院スポーツ科学研究科」を、

 

最優秀の修士論文で修了した記事を読みました。

 

桑田投手と私ではデカさが100万倍くらい違いますが、

 

音楽の分野でプロとしての仕事をしつつ、

 

あと1年以内に100枚のドイツ語での修士論文を仕上げる予定の私は、

 

幼きころに憧れたベースボールスターに、少しだけ親近感を持ちました。

 

ちょっと前まで春になりかけていたウィーンは、また冬に戻りました。

 

↓2月21日の世界の家窓から。


 

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↓3月6日の世界の家窓から。


 

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春は簡単には訪れない。

 

だから春は愛される。

 

では、非常に現実的な冒頭の景色に戻ります。

 

よい週末を!ちゃお。

10年後の景色だ。

ちょっと前の話になりますが、書きます。

 

ぼくは発声のテクニックのレッスンを受けるため、

 

イタリアの師匠のもとに1か月か2か月に一回、ウィーンから通っている。

 

4年前からぼくの声を知り、

 

本番前の声の調整、技術の発展へのアドヴァイスをしてくださるコーチとのレッスンは、

 

ぼくが舞台で声を出すうえで、基本的に必要なメンテナンスとチューンアップの作業だ。

 

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(ボローニャの親友グイチャルド君のレッスン風景)

 

いつもは大体3泊の予定でイタリアに滞在し、

 

2日間のレッスンを受けて帰ってくるような弾丸日程なのだけど、

 

今回(2月)はいつもより時間があったので、

 

とある自分による自分のためのプロジェクトを実行した。

 

名付けて・・・

 

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

 

・・・・いや、別に名付ける必要はないし今思いついただけなのだけど、

 

10年前の景色を10年後にみてみよう、いってみよう、やってみよう」

 

的な自己満足系企画である。

 

ぼくが初めて海外を訪れたのは20002-3月のイタリア・フィレンツェだった。

 

10年前のハタチのぼくが新鮮な感動とともに時が経つのも忘れて眺めた景色が、

 

ミソジのぼくにどうみえるのか、どうしてもやってみたかった。

 

親の援助で大学に通わせてもらいながら、1年くらいバイト代をためて、

 

初めてパスポートを取り、海外航空券を買いにいき、銀行で円をリラに両替し、

 

語学学校への申込みもイタリアに住む大先輩に手伝ってもらいながら手紙でやり、

 

エアフランス機でパリを経由してようやく渡ったフィレンツェ。

  

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語学学校に斡旋されたイタリア人のおじさん(ロベルト)の家の一部屋を間借りして、

 

毎日語学学校に通って14時間イタリア語のクラスを受けたのだけど、

 

ロベルトに、

 

「シャワーの使い方(お湯の出し方)がわかりません」

 

が言えなくて、2月の極寒を水シャワーで我慢したり、

 

それがつらすぎてシャワーを何日も浴びずに過ごしたりした(笑)。

 

言葉ができないからもあっただろうけど、初めての外国ですっげーシャイだった。

 

生まれて初めて自分が稼いだお金で勉強するから、

 

何がなんでもイタリア語を身につけたくて、

 

夜中の3時まで宿題や復習をやって、午前9時からの授業に出た。

 

おかげでこの1か月でイタリア語が話せるようになった。

 

「話せる」には程度があるけど、

 

その後資格を取って、イタリア語で通訳のできる今から振り返っても、

 

ぼくは10年前のあの1か月で、ある程度話せるようになったと思う。

 

「時間的、体力的にあんな密度でいま勉強できたら、

 

ぼくはスーパーサイヤ人になれるな。」

 

と本気で思えるほど、本当に本当に身になった1か月だった。

 

午後は美術館に通ったり、フィレンツェの歌劇場で歌う先輩の話を聞いたり、

 

あのときのことならいつでも思いだせる。

 

そんな大切な時間を過ごしたフィレンツェには、

 

その後も近くにいく度に寄ることにしている。

 

2年前にフィレンェに寄った時には、シャワーのことも聞けなかったロベルトの家も訪ねた。

  

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アポなしで訪れたのに、快く寝泊まりと宿題をした部屋を見せてくれて、

 

8年後にやっと自分の言葉で会話ができてうれしかった。

 

10年前に話を戻そう。

 

4週間の語学コースに通ったあとは、1週間イタリアを一人で旅した。

 

11000円か1500円くらいのユースホステルに泊りながら、

 

ミラノではスカラ座でムーティ指揮の「トスカ」を観たり、

 

先輩に紹介してもらったイタリア人の先生のレッスンを受けた。

 

暗くなってから到着したヴェネツィアは公共交通が水上バス(船)なのだが、

 

陸ではないので降り間違ったら徒歩でリカバーできない中、

 

泣きそうになりながら最終船(終電)に乗り合わせたイタリア人のおじさんに、

 

「ユースの停留所で教えてくれ、じゃないとぼくは極寒暗闇の中、

 

運河に沈んでしまう!!

 

と訴えて命からがらホステルにたどり着けた。

 

ローマでは、フィレンツェの先輩の友だちが初対面のぼくを泊めてくださり、

 

1日ローマ案内をしてくださったばかりか、レストランでご飯までごちそうしてくださった。

 

「だってきみ、お金なさそうなんだもん」

 

ひとの温かさと、

 

ライトアップされた、トスカが飛び降りたサンタンジェロ城が印象的だった。

 

治安が悪いとあちこちから脅されていた南イタリア・ナポリでは、

 

絶景とトマトのおいしさに魅せられて予定以上に滞在した。

 

ユースホステルで知り合った日本人旅行者の仲間と、

 

わいわいとカプリ島やアマルフィに出向いた。

 

その旅仲間の何人かとはいまでも交流があるので、彼らに写真を送った。

 

今回の、

 

自分・バック・トゥ・ザ・フューチャー・プロジェクト

 

では、レッスンのあと、フィレンツェとローマ、南イタリアを駆け足で再訪してきた。

 

ぼくが10年前に見た景色は、なにも変わらずにぼくを待っていてくれた。

 

ぼくが海外で勉強すること、仕事をすること、暮らすことを夢みた原点の日々に、

 

ぼくは何かあるたびに立ち戻ると思う。

 

以下、かわらない景色と10年後のわたし。

 

フィレンツェ。

 

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アマルフィ。

 

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ナポリ。

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昔話はいつでも長くなりますね。

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
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