ウィーンの最近のブログ記事

お甲斐りなさい。

ちょっと前、ひな祭りの頃、ウィーンで甲斐栄次郎さんに再会した。ウィーン国立歌劇場での出演を客席で見守り、その度に楽屋にも顔を出し、あるときは出演中のパブリックビューイング(寒空)を彼のホームビデオで録画する係りを頼まれ、またあるときは動物園にも一緒に遊びに行ったりした、同じ時間、同じ時代を過ごした頃のままに、穏やかに話すことができた。ちょうどその日ぼくはそのオペラ座でコーチングがあったので、一緒に楽屋口をくぐった。その劇場に10年も居た彼とすれ違うひとたちは、守衛さんも、歌手も、スタッフも、みんなフレンドリーにエイジロウに挨拶をしていた。甲斐栄次郎というオペラ歌手がウィーンで愛されていた証拠だと思って誇らしかった。

数日前、平野和さんがフィガロ役で主演した「フィガロの結婚」をフォルクスオーパーで観た。彼がフォルクスオーパーで歌い始めた頃にぼくもウィーンに留学した。それから彼の演じるいろいろな役をみてきたけれど、ウィーンのフォルクスオーパーが、ウィーンの作曲家といえるモーツァルトのオペラの新制作の主役を、しかもドイツ語での上演を、日本人の彼に任せた重みと、彼が劇場から得てきたそれほどの信頼が、どれだけ日本に伝わっているだろうか。カーテンコールで一番最後に出てきて喝采を受けたヤスシ君の姿をまた誇らしくみながら、そんなことを考えていた。

ヨーロッパでオペラ歌手になりたいと夢みはじめた10年以上前、旅行や短期留学でヨーロッパに来ては、オペラハウスの立ち見席に通った。海外でオペラ歌手として働くということがどういうことかを最初に教えてくれたのは、新国立劇場でのデビューのときに共演した中嶋彰子さんだったし、イタリアでは、中島康晴さんの出演を追いかけた。これまでに一度だけ訪れたニューヨークでは本当に偶然に、まだ知り合っていなかった森谷真理さんのデビューも観た。日本人がソリストとして舞台に立っている姿をみて、いつか自分も、と思っていたのだった。世界で歌う日本人になりたかった。

10年くらい経って、ぼくがボローニャ歌劇場で歌っていた時、公演後に楽屋口で待っていてくれた日本人のひとたちが何人もいた。日本人として誇りに思う、と言ってくれた同業者の人もいた。その頃には、自分がその姿を目指したように、どこかで観ているかもしれない、あとに続くひとたちにも何かを残す舞台姿でなければいけないな、と心のどこかでは思うようになっていた。海外でも、日本でもね。

そろそろ、今までの経験を伝えたり、教えたりする役割も少しずつ果たさないといけないな、と考えているのです。声楽をはじめてからずっと長い間、音楽は教わるものだった。自分の中に、だれかの将来のために役に立ちそうなものが貯まってきたかな、と最近ようやく思うようになりました。

高校生のころに声楽を教わっていた西義一先生が、「自分はこのメソッドにたどり着くのにずいぶん時間もかかったけれど、たどりついたその方法をすぐにきみに教えることにやぶさかではない」とおっしゃっていたのをよく覚えている。そのときはわかったようでわかってなかったけれど、いまならわかるかな。人生の事情はひとそれぞれにあって、すごく才能があったりすごくやる気があっても、挑戦できる時間は限られているから。その西先生が、年始のTV放送を観て、送ってくださったメールも嬉しかった。

生徒や後輩のために存在する先生や先輩になりたいものです。

実験的演奏会。

ゆうべウィーンで実験的演奏会をしました。
ソプラノの森谷真理さんと。彼女との縁でダブリンやアイルランドで何度も演奏させてもらったけど、そういえばそれ以外の地で共演したことはほとんどなかった。とりあえず、デュエットを何曲も本番でやってみて、録音、録画してみよう、と。なんならソロの曲もまだ人前に出してないやつをやってみよう、と真理ちゃんと企画。ホールを借りて、ピアニストをお願いして、録音技師をお願いして、リハスケジュールを決めて、集客するのかしないのか、最後まで相談して。ふだんの出演ではまわりの皆さんのサポートで演奏に集中させていただいているわたくしにとっては、改めて多くのひとに感謝をする機会となりました。結局ほぼ非公開でやったけれど、当日のサポートを、ウィーンで仲良くしてもらっている後輩たちが連携プレーで完璧に手伝ってくれて、とても助かった。ありがとう。
ピアノは日生劇場の「リア」でプロンプターをやっていた指揮者の中村瑛くん。映像ができあがってきたら、またご紹介します。今日はプログラムのみごらんください。
ソプラノとカウンターテナーのオペラ・デュオコンサート、ご興味のあるご主催者の皆様はぜひご連絡くださいね。日本でもやりましょうよ。

Mari Moriya (Soprano) & Daichi Fujiki (Countertenor)

"Experimental Duo Concert"

on Friday 13th March, 19:00

at Johans Klaviersalon (Paniglgasse 5, 1040 Wien)

Soprano: Mari Moriya
Countertenor: Daichi Fujiki
Piano: Akira Nakamura

Program

-V'adoro pupille "Giulio Cesare" Händel   (Moriya)
-Pompe vane di morte 〜 Dove sei, amato bene? "Rodelinda" Händel   (Fujiki)

-Welcher Wechsel herrscht in meiner Seele "Die Entführung aus dem Serail" Mozart  (Moriya)
-Come ti piace imponi "La clemenza di Tito"  Mozart (Fujiki, Moriya)

-Giorno d'orrore "Semiramide" Rossini  (Fujiki, Moriya)
-Ah! quel giorno ognor rammento  "Semiramide" Rossini (Fujiki)
-Bel raggio lusinghier "Semiramide"  Rossini (Moriya)

-Dawn, still darkness "Flight" Jonathan Dove (Fujiki)
-Heimliche Aufforderung R.Strauss (Fujiki)

-Belle nuit ô nuit d'amour  "Les contes d'Hoffmann" Offenbach  (Moriya, Fujiki)
-Abends will ich schlafen gehen  "Hänsel und Gretel"   Humperdinck (Moriya, Fujiki)

気づき。

音楽のことなら何でも知っているコーチ(スケートにもコーチがいるように、歌手にもいます。)のジム(Jim)と、パーセル(1659-1695)の「しばしの間の音楽」をやっているときに彼はふとこう言ったのだ。「パーセルは、2014年に日本人のカウンターテナーがコレを東京で歌うとは思ってなかっただろうね。」
ぼくたちは音楽の授業で、聖徳太子やナポレオンやリンカーンと同じような歴史上の人物として作曲家のことを習う。でもぼくたちが彼らの曲を演奏したり聴いたりするとき、彼らは歴史上の人物ではないのだ。作曲家はもうこの世にいなくても、その作品とともに現代を生きていて、作品が演奏されるたびに蘇る。だからぼくたちは、彼らがどういう人物だったか、その人生のどんな状況のときにその曲が生まれたのかということに興味を持つ。野球選手の入団1年目と10年目のパフォーマンスが同じでないように、ぼくたちが書く文章が中3のときと25歳のときで同じではないように、シューベルトだってモーツァルトだってそうであったはずだ。
それは例に挙げれば当たり前のことなのだけれど、フツーに現代を生きていると意外と気づかない。彼らの人生を想像するというよりも、ある歴史上の人物として考えるからだ。「野ばら」を、たった2ページ、2分か3分の3番まで歌詞がある「野ばら」として歌ったり聴いたりすることのほうが多いかもしれない。
生きるということにおいて、もし何かのきっかけで何か大事なことにせっかく気づくことができたなら、その気づきをうまく生かしたいなと思う。
ブラームスの「アルトのための2つの歌」も今度東京でやります。
ジムはまた言っていた。「ブラームスの生きた時代にはカウンターテナーはいなかったよね。男が歌うなんて想定してなかった。でもダイチが歌っていいよね。」
ぼくがいろいろな運命のおかげで時々何かに気づけていることは、とてもラッキーなんじゃないかなと思う。
もうすぐ、イタリアへの最初の留学をしてから10年になります。その10年間の半分以上はヨーロッパに居たはずです。もし日本にずっといたら、ぼくはいまこういうことを考えていたかな。シューベルトはいまでもただの歴史上の人物だったかもしれない。
最初に外国に住みたいと思ったモチベーションはなんだっただろうか。
オペラの生まれた国の空気を吸いたい、文化の違う国で言葉の違う人種と友達になりたい、イタリア人みたいな声が出したい・・・。そのころのそんなかわいい野望を考えると、たぶん母国を離れていることで犠牲にしたものもいっぱいあるんだろうけど、いい時間を過ごせたのではないかと思うのです。
彼らの人生の名場面を、1曲たった数分間だけど再現するために、こんな21世紀の現代まで生き残っている作品を愛して演奏するのが、幸いにも演奏する機会を与えられた音楽家の使命なのではないかと思います。

かえった。

ウィーンにかえるとまずコーチたちに電話で連絡をとって、次のプログラムのレパートリーのコーチングやヴォイスレッスンの日時の約束をするのです。現在ぼくには、オペラを中心にみてもらうコーチ、歌曲や宗教的作品を中心にみてもらうコーチ、そして声のコーチの3人がウィーンにいる。コンサートやオペラの予定がが立て込んでいる期間中は、リハや公演で毎日歌っていて、それを主観的にみている自分の判断がいつもコンディション調整の中心になる。もちろん同僚が客観的になにか言ってくれることもあるけれど、いいところをほめてもらえることはあっても、よほどのことがなければ歌手同士で、歌手の心臓たる声のシリアスな部分は言い合わないものだと個人的には思う。自分のことはいつも自分で守らないといけない。そういう仕事の期間が長いほど、主観的な判断の精度がずれやすくなると思う。だから自分の声と音楽をよくしっているひとに客観的に聴いてもらう機会は作らなければならない。ひとりよがりな声は、ひとりよがりな音楽を奏でるのだ。そうなると、その音楽はひとに届かない。

オペラ座のコーチ、ジムのところに行くと、大テノールのシコフのコーチングを終えたところだった。大テノールは、キャリアの後半段階にきていま、初めて演じる役を歌っているそうだ。ジムが、ふたりとももう知り合ってるよね?と訊く。ぼくらは前にもジムのところ会っているので、うん、と答える。そして世界的大テノールは、ぼくに向かって「がんばれよ〜」と言って部屋を出て行った。その日ぼくはその日の何曲目かで、今度久々に本番で歌うシューベルトの野ばらをジムにみてもらった。誰でもしっている、もう歌い慣れているあの歌の、最初の4小節をぼくなりにいつも通り歌ったところで、ジムはピアノを弾くのをやめてこう言った。「OK、この4小節の中で提案したいことが4カ所ある」

だからぼくはウィーンにかえってきたのだ。

冬ウィーン。

ウィーンにいます。
今回はたった1週間の滞在。時差ぼけの早起きを利用して一日を有効に使うのである。ずいぶん寒いです。それが何度かなんて気にしない。寒いことで、季節はめぐり、時は流れ、歳をとっていることを実感する。そんなかんじ。
さすがにこれだけ滞在が短いと、友だちに会ってゆっくり話す、とかそういう用事はほとんど入れられないのだけれど、会うべきひとには結局道の上でばったり会ったりするのですね。ぼくにとってはそれがウィーン。
世の中の多くのことで、たとえば過去にうまくいかなかったことなんかも、時間が解決するのかもしれない。それが積み重なって季節がめぐり、歳をとっていくのでしょう。そしてそれは経験として振り返られることになるのでしょう。
とにもかくにも、やはりこの地でこういう時間がとれることはとても大切なことだし、たった1週間をこの先数ヶ月の心身の貯金にできるような、そういう日々を過ごしています。
それは音楽的な準備であったり、これまでずっと頭の中で気になっていたことを整理して体勢を整えることであったり、身体や声が忘れかけていたことの確認であったり。いくつかの決意もしました。こういう機会をとれる環境にあること、その環境を支えてくれているひとたちに感謝します。

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世界の客席から。
この日は、ウィーン国立歌劇場バレエ団専属ピアニストの滝澤志野さんの応援でした。すぐに日本でお会いしましょう。

12月14日 (土)18:30 延岡総合文化センター(宮崎)詳細

東京へ。

ウィーンの空港にいます。
荷物のパッキングをしていて、思いました。
こんどウィーンに戻るのは12月なので、ふたつの季節(秋冬もの)の洋服を持って日本に帰るわけです。ことし2月末に日本に帰ったときは、日本行きのトランクに冬春もの(3-4月日本滞在)と、同時にイタリア行きの荷物に春夏もの(4-6月イタリア滞在)を準備して、飛びました。今年はこういう生活だったな。
帰国してすぐ、東京でオペラのリハーサルがはじまります。
カウンターテナーを必要とするオペラが上演されることは世界的にまだまだ少ないので、今年、イタリアと日本で3本ものオペラに出られることはとってもラッキーだと思う。楽しみだね。では、飛びます。

ウィーン。

3週間ぶりのウィーンです。
あれだけアツかった夏はとっくに終わっていて、というか、そんな日々があったことも信じられないくらいの曇天に、肌寒さに、雨です。秋を感じるわけでもなく、単純に天気がわるい。
日本とヨーロッパの間の11時間のフライトは、自分の中でどのように過ごすかは決まっていて、特に大変ではありません。
家の建物に着いて、ポストにたまった手紙と広告を仕分けて、階段をそれなりに重いトランクを抱えてのぼり、不在の間に泥棒が侵入を試みてないかどきどきしながらドアの前に立つ、いつもの帰宅です。
最近ちょっと残念に思うのは、日本に帰りついたときも、ウィーンに帰りついたときも、むかし感じていたような感激がいちいちないことかな。
生活のベースが増えるのはいいことなのかもしれないけどね。
今回は10日だけヨーロッパに滞在して、またすぐ日本です。
オペラ「リア」、秋のソロリサイタル、年末の第九、できたら年始のニューイヤーコンサートの準備まで終わらせて日本に戻ります。
今回は日本に帰れてほんとうによかった。
どんなにITが発達しても、どうしても縮まらない距離もあるからね。

この夏。

たとえばボローニャでのオペラや、宮崎でのとてもハッピーな"みんなに音楽♪大作戦!"のこと、ダブリンでのメサイアとスターバト・マーテルのコンサート、ギリシャでのカウンターテナーキャンプ、ミュンヘンでのジャパンフェスティバル......ゆっくり振り返りたいことも、この場でお礼を申し上げたいことも、伝えたいすばらしい経験も山ほどあるのだけれど、目線も心も前を向いていなければ、体だけが過去に取り残されてしまいそうな、ウィーンで迎える五回目の夏の日々です。上に書いたぜんぶの出来事からまだ二ヶ月も経っていないのにね。

そのくらい今年は内外で音楽家として多くの演奏機会に恵まれていて、挑戦、挑戦、勝っても負けてもまた挑戦だった一年前のことを考えると、本当にありがたいなぁと思います。たった二年前は、ぼくがカウンターテナーになったことすら誰もしらなかったわけです。そのことを考えれば、気にかけてくださる方もずいぶん増えました。

演奏家としてのプロフィールや演奏予定で目にみえているものは、そんな挑戦たちの中でたまたまうまくいったものとか、それがきっかけで開けた未来とか、つまりそういうことなので、それよりずっと多い、実らなかった努力、失敗や敗北、苦く悔しい思い出は、表にはほとんど出ないけれど、未来をつくるための自分の経験として確実に蓄積されています。

演奏という意味でのアウトプットをかなりのペースでしていた今年上半期の仕事を無事に終えて、この夏はウィーンにこもって、勉強、練習、教えを請う、という意味でのインプットの日々です。レストランでいうと仕込みの段階ですね。こういう時間をきちんと作らないとおいしい料理が出せません。
今後演奏する予定のなにを、いつ、どういうふうに仕込みはじめるかは全部自分で決めるので、時間的にはかなり自由がきくのですが、集中力を使います。

ところで先月、ぼくはギリシャのアテネで夕陽をながめたのですよ。その街で一番高いところにある丘から。向こうにパルテノン神殿がみえるわけです。現代に生きるわれわれが知る、文学、政治、哲学、演劇などは、あの国からはじまったのだ。そう考えるだけでその景色をただ尊敬できたのです。44世紀前のものがギリシャには現存するのだけれど、ぼくはたったの33歳です。ひとは歴史には勝てないけれど、かんばれば歴史をつくることはできるのではないかなと思います。

ぼくらは数百年の歴史を生き残ってきた音楽に対していつでも正直でいて、練習でも、本番でも、その音楽にまっすぐに向かい合う。それができたときにはじめて、自分という媒体を通じて世に出た音楽が、あるべき姿で人の心に届くと思うのです。だから媒体としての自分がいつもベストであるために、精神的にも、肉体的にも健康で居続けなればなりません。

時間は有限、人生も有限、無限なものはない。それならば、絶対に大事にすべきこと、実はそうでもないこと、いつも自分で思い切って決めて、時間を使ってみることにしました。

この秋に日本で予定されているコンサートやオペラのどれもを、ぼくはとても楽しみにしているのだけれど、それらのすべてもきっとすぐに過去になるんでしょうね。

どこかで聴いていただくのを楽しみにしています。
きょうはウィーン国立歌劇場でオーディションでした。
ドミンゴ指揮の「ロメオとジュリエット」の舞台リハがおわった直後のステージでのオーディションには、ぼく以外にも3人の歌手が呼ばれていました
舞台袖で順番を待っていると、リハを終えたテノールのベチャワが、親指たててウィンクして、がんばれよ、と言ってくれました。
1曲目を歌い終わったあと、客席でドミンゴが聴いているのに気づきました。びっくりしたけど、あまり動じずにそのあとの曲もうたえました。もし自分がベストを尽くして力を発揮できても、そのチャンスがモノになるかは、いつでも運命も関係すると思う。でも、与えられたチャンスでいつもどおりのことができるようになってきました。
そのことにぼくはもう満足しているのです。
オーディションだけど、ついにあの舞台に立てました。
そこで、ぼくのいつもどおりの歌をドミンゴが聴いてくれました。
(6月20日)

美しいもの。

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美しいもの。


その人生を音楽と聴衆のために捧げているアーティストたちに、


彼らの人生に渡る鍛錬とその音楽を受け取った聴衆がたちあがり、


最大限の尊敬をおくる姿。


この日の主役は、もう70歳を超えたプラシド・ドミンゴ。


舞台の上からも下からも尊敬を集める、


真の芸術家の姿をみた。


@ウィーン国立歌劇場


ぼくはもうすぐ日本。


ウィーンでもうひとふんばり。

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
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