の最近のブログ記事

絵日記2。

言い訳なしの絵日記。宮崎篇。


帰国翌日、宮崎へ。そのままプロジェクトサポーターBlock Blockさんのランチで心と身体をほぐし、4時間のリハ。
(7月1日)

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その翌朝、河野俊嗣宮崎県知事を表敬訪問しました。
こんやは大作戦!2014のキャラバンコンサート初夜だぜ。

プロジェクトサポーター、一平寿司さんで。

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ラブワゴンは西米良村へ。

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写真家、小河孝浩さんの写真工房で。


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その夜。プロジェクトサポーター、宮崎市の西米良料理カリコボーズの里さんで。

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"みんなに音楽♪大作戦!2014" 地域に演奏会を出前する、キャラバンコンサート#1 西米良村。ことしもいよいよはじまった。ぼくは西米良コロッケ(煮しめのコロッケ)の大ファン。
(7月2日)

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"大作戦!2014"キャラバンコンサート#2は天孫降臨の地にして、日本一の宮崎牛のふるさと高千穂町。岩戸小学校のみんなと「花は咲く」を一緒に歌ったぜ。これで大作戦!は4年間で宮崎全26市町村のうち12市町村にキャラバンに伺ったことになります。10年目には全部イケるかな?
(7月3日)

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そのあくる日、MRT宮崎放送の新番組「モーニングテラス」で生演奏。

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宮崎公演の出演者が集合。9時間のリハと1時間のラーメン。
(7月4日)

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世の中の喧噪を忘れるこんな素敵な空間でもいつか小さなコンサートができたらいいな。"大作戦!2014"プロジェクトサポーターの「ガーデンテラス宮崎ホテル&リゾート」さんの響きの素晴らしいチャペルから。舞台背景が林だぜ?ご支援ありがとうございました!

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10時間のリハとささやかな癒し。
(7月5日)

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スポンサー、東京・宮崎料理みやこんじょさんのお花。
いつもありがとうございます。

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"みんなに音楽♪大作戦!2014"、花を咲かせて終幕しました。プロジェクトの総合プロデューサーとして、オーディエンス、主催者、スポンサー、サポーター、スタッフ、出演者、遠くで近くで応援&協力してくださったみなさんに改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
また来年お会いしましょう!
(7月6日)


絵日記1。

絵日記。言い訳なし。

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茶色の屋根、森、風力発電。
東京から11時間で、3ヶ月ぶりの空からの景色。
(6月16日:ウィーン)

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1年半ぶりのハンブルク、1年ぶりのオーディション。
時差ボケなんか知らん、歌わなあかん。
(6月18日:ハンブルク)

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コンサート終演時のスタンディングオベーション。
聖ピーター教会、ロンドン。

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アシュレイ・シュタッフォードとマルコ・オズビッチ。
この2人がいなければ、カウンターテナーのおれはこの世にいません。
詳しくはいつかどこかに書きます。出逢いの連鎖で、いまのおれの声があることに感謝した大事なコンサート。モンテヴェルディのデュエットと武満の小さな空を歌ったんだけど、ロンドンのお客さんが次々におれの手を握って"thank you"というのです。オケのひとが何人も来て"あんたの歌がマジで今夜一番感動的なモーメントだった"というのです。同僚が"歌詞がわからなくても伝わった"と抱きついてくるのです。
ここはカウンターテナーの国ですよ。
ちょっと嬉しかったからオレオレですみません。
(6月21日:ロンドン)

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北緯55度の夏至の21時。結局23時までは光がありました。スコットランドの民謡をコンサートでえらそうに歌ってるわたくしが、チャンスがあるのにスコットランドをみないのはそりゃアレだろうと、ロンドンでのコンサートの合間の2日間で無理やり来たかいがありました。
スカートをはいた美しい街。
(6月23日:エディンバラ)

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世界のトイレから。
(6月23日:グラスゴー)

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駐英国日本大使公邸でのリサイタル。日本の歌と、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの民謡のプログラム。
出発の地ロンドンで、日本の歌とこの地方の歌が歌えて、伝えたいことが伝わって、うれしかった。

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林景一駐英国日本大使ご夫妻、大使公邸の皆さんとの再会が嬉しかったです。
在ロンドンのピアニスト、西山雅千さんと。
(6月25日:ロンドン)

とぶ。

もう乗らないといけないので沢山書けないけど、これから東京→ウィーン→ハンブルク→ロンドン→エディンバラ→グラスゴー→ロンドン→ブラティスラヴァ→ウィーン→東京→宮崎を2週間でとびます。

数日前、東京にいながらにして「3日後にミラノのスカラ座でオーディションだけど来れる?」なんていう、オペラ歌手としての日々の準備の心構えの教科書の例文みたいな話が、マジでそっくりそのままわが身に起こりました。さすがにその日はそれで一日頭がいっぱいだったけれど、これまでに知り合った多くの人たちが、2日後にミラノにいいコンディションで到着するためのプラクティカルな手はずを半日で整えることに協力してくれて、本当にありがたいなぁと思いました。(オーディションはウィーンのマネジャーと話し合って最終的に延期にしたけれど、その日の練習は"3日後にスカラ座で歌う"ことを想定して100倍集中してやったので、ちょっとだけうまくなれたと思う!)

ところで、ウィーン国立歌劇場の歌手リストに名前が載りました。
なにもいえねえ。

じゃ、とんできます。

びわこなう。

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九州から北陸へのアクセスは、陸路がいちばん早いようです。


小倉、広島、岡山、神戸、大阪、京都、琵琶湖、福井、、、


日本地名界のスーパースターたちを華麗にスルーし、


あと30分くらいで金沢に着きます。


着いたら1時間くらいでオーケストラ・アンサンブル金沢とのリハーサルです。


初めて訪れる街、初めて共演させていただくオーケストラと指揮者。


あぁ、わくわくする。


華麗な地名をゆっくり楽しむ時間はあまりないけれど、


ぼくはこんな音楽家人生を気に入っているのです。

たぶん最後のコンクール。

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アイルランド・ナショナル・コンサートホール。


ちょっとダブリンにいっていました。


この1年で3回目。


今回の目的はここで行われた国際コンクールでした。


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まさか応募のときに送った25歳のときの写真が、


そのままプログラムにカラーで載るとは思わなかったけれど。


34カ国から150人が応募、


録音審査で87人にしぼられ、ダブリンに集合。


この時点で日本人はひとりだけだったので、


日本人としても勝ちたかったんだけれど。


入賞者にはアイルランドやイングランドでの出演契約の副賞もついていたし、


たとえ優勝できなくても、


ファイナルまで行けば先につながることが多いのが、


大きい規模の国際コンクール。


ぼくがここで意味するところの「勝つ」とは、


「結果がなにかしら次のステップにつながる」ことです。


一次予選の結果、87人は20人になり、


その20人で準々決勝(クォーターファイナル)。


ぼくはこの準々決勝で敗退。


準決勝(セミファイナル)進出は12人。


うーん、手応えもあったし、客席の反応もよかったし、


もうちょっといけるかな、と思ってたんだけどなー。


一生に一回くらい世界一になってパレードしたかったなー。


残念だけど、敗退翌日にウィーンに戻りました。


いまの自分の演奏はしっかりできたので、反省も後悔も言い訳もありません。


そこでベストを尽くしたぼくが選ばれなかったというだけです。


ほとんどのコンクールには年齢制限があるので、


そしてぼくはほとんどその制限にひっかかる年齢になったので、


コンクールはこれで最後かな。


でも、ずっとコンクールに挑戦してきた目的は達成できたと思う。


2011年にカウンターテナーにかわって、


当然最初はカウンターテナーのぼくのことなんか誰も知らないし、


誰も知らない歌手に演奏の仕事はこないので、


でも人前で歌わないと歌はうまくならないし、


とにかくだれかに聴いてもらうために国際コンクールを受け始めました。


しかも大きい有名なやつばっかり。


もし優勝や入賞しても演奏の機会ももらえないような小さなコンクールだと、


旅費ばかりかかってあまり意味がないと思ったので。


それに劇場やエージェントのオーディションは


まず実績を作って自分が呼ばれないと歌う権利さえもらえないけれど、


コンクールは応募すれば録音にしろ実演にしろ、


とりあえず誰かに一度は聴いてもらえるからね。


誰かに聴いてもらえなければ演奏の仕事は永遠にこない。


家で練習しているだけでは何も起こらないのです。


もちろん最初の半年くらいは録音審査で落とされたり、


一次予選で落とされたり、全然ダメでした。


技術も未熟だったし、音楽的に自分のやりたい演奏も実現できなかった。


でもそれでもとにかくやり続ける中で、


本番に向かうペース配分とか、


いかに緊張を強いられる本番で自分の音楽と個性をアピールするか、とか、


そもそも自分の個性とはなんなのか、とか、


ちょっとずつそういうことがつかめてきた。


レパートリーももちろん増えた。


自分にどんなものが向いているかわかってきた。


自分は手応えがあったのに早いラウンドで途中敗退したときなんかは、


チャンスがあれば審査員全員のところに行って、


自分のなにがよくてなにがダメだったのか、意見をもらった。


その意見を、もっとうまくなるための材料にしてきました。


録音審査で落とされたやつは、


自分に何がたりなかったのか、


先のラウンドに進んだ他の歌手には自分にない何があったのか、


それを知らずに前には進めないと思って、


わざわざそこ(外国)まで聴きにいったりしていました。


自分は歌わないので体調を過剰に整える必要はないから、


安いフライトや電車に乗って、ユースホステルに泊まって。


ライバルたちの演奏からも、本当に多くを学びました。


学んだものを、できるだけ自分のものにしようとしました。


2011年の夏くらいからは、ほぼ毎月どこかでコンクールに出場していました。


国際試合に毎月遠征にいくようなものです。


若くないから挑戦できる時間も限られているし、もちろん資金も限られている。


審査員は世界のあちこちからその場所に才能を探しに集まってきているので、


目にとまればチャンスがあるだろうな、と思っていました。


そんな中でぽつぽつとうまくいくものが出始めた。


そういえばよく聞かれるんですが、


コンクールの参加者はカウンターテナーだけですか?と。


そんなコンクールありません。


あ、たった一個だけあったけど。


カウンターテナーだけで競うコンクールは、


ぼくの知る限り、その年だけスイスで開催された、その一個だけです。


ソプラノもアルトもテノールもバリトンもバスもカウンターテナーも、


ほとんどの場合、同じ土俵でたたかい、審査されるのです。


募集要項にカウンターテナーというカテゴリがなく、


応募すら断られたコンクールもありました。


でもどうしても演奏の機会を増やしたかったから、


そのためには多くのひとに聴いてもらわないといけないから、


もう一度電話で交渉して、男性アルトとして出場しました。


ずっと勝ち続けることは難しいけど、


実際、全然勝てないこともなくなってきた。


ぼくという歌手に興味を持って認めてくれる人が増え始めた。


勝てはじめた。


そのときにはもう、


自分はこの世界でたたかえるんだ、と確信していたし、


あとは自信をもって挑戦を続けるだけでした。


そして、コンサートの機会も増えました。


つまり、ぼくの歌を聴きたいと言ってくれるひとが増えました。


ぼくはテノールのころ、コンクールには否定的でした。


音楽は競うものではないと。


それはいまでもそう思う。


でも31歳でカウンターテナーになったぼくには、


鍛えて、競って、認められるしか、


この先も歌っていく方法がなかった。


2年前、ぼくがカウンターテナーにかわったことを知るひとは


近しいほんの数人しかいませんでした。


まだ何の結果も出ていないころ、


たまに久々の同僚に会ったりして、


実はテノールやめていまカウンターテナーに転向中なんだよ、と言うと、


うそだと思って信じないひともいたし、笑ったひともいた。


でも多くのひとは、いいね、がんばれ、と言ってくれた。


ちょうど2年が経ちました。


いま、どうだろう。


少なくとも、ぼくは「カウンターテナー歌手」になれたと思う。


2年間の成果としてはそれで十分だし、


コンクールはその成果に大きな役割を担ってきて、その役割をたぶん終えた。


ぼくはこれからも、いつもベストを尽くすだけ。


研究にも、訓練にも、練習にも、本番にも。


あしたもあさってもいつもどおり練習します。


もっとたくさんのきれいな景色をみたいから、


もっと歌がうまくなりたいから、


そのための挑戦をつづけます。


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ダブリンからウィーンについたときの機内からの景色。


こんな雪の中でも安全に離着陸できるように、


滑走路を整備してくれている人たちに感謝せずにはいられません。


人は生きていると同時に生かされているのだ。

32アワーズ。

ぼくの2013年1月7日は、1日32時間であった。


日本から、時差が8時間あるウィーンにかえってきたから。


シベリアを越え、東欧諸国を越え、ぼくはかえってきた。


ウィーンはいつの間にか、ぼくのかえる場所になっていた。


1か月ぶりに空港に降り立っても、懐かしさなんてない。


ただ、ぼくはかえってきたのだ。


ぼくは日本人だから、


きっといつかこの街を離れて日本にかえるときがくるけれど、


それでもずっと、ここはホームタウンのひとつであり続けるだろう。


この街で学びたいと思って下見に訪れたのは2008年の1月だった。


それから僕は経営学を学ぶ留学生になり、


転機があってカウンターテナーの歌手になり、


ウィーンを拠点にしてのヨーロッパでの仕事がはじまった。


下見にきたときにお世話になった留学の先輩たちの多くは帰国し、


ぼくよりあとに来た留学生や駐在員の友だちの多くも、もう帰国した。


ここにいつまで居るのかは本当にわからないけれど、


一生の中でいつまで居られるかがわからないからこそ、


5年前、おれは絶対ここで勉強するんだ、と意気込んで来た時の


オーバーワークな密度で今年は生活してみよう、


1日24時間をやり尽くしてみよう、と


もう乗り馴れてしまった、空港から家に向かう電車の中で考えた。


あたりまえのように感じる日常は、いつかあたりまえではなくなるのだ。

ロンドンがえり。

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今週はロンドンに行っていました。


在英日本大使館の天皇誕生日のレセプションで、


日英両国の国歌を独唱させていただきました。


一言でいうと、光栄でした。


ロンドンで日本国が行う最大の恒例行事だということで、


心してウィーンを発ちましたが、


心した以上に大きな行事、大きな経験でした。


日本人として、国を代表して何かをするということ、


ぼくの場合はそれは歌を歌うということだったのだけれど、


日本はもちろん、各国を代表して仕事をしていらっしゃる方々の集まる場で、


その一員として自分の仕事をできたことが光栄でした。


大使ご夫妻のご厚意で、


ほんとうに多くの方にご紹介していただいたのですが、


仕事で長年すばらしい実績を積まれてきているひとは


人柄ももれなくすばらしいのですね。


それを改めて確認できただけでもロンドンまで行ってよかったと思います。


ところでそのレセプションで、


その華麗で劇的なゴールをぼくもテレビでみて興奮したことのある


サッカーの日本代表の選手の方とお話したときに、


「国歌よかったですよ!」


と言ってもらえたので、


「こんどサッカー日本代表の試合でぜひやらせてくださいよ!」


と言ってみたところ、


「そうですよ、JFAに言っときます!」


なんて、言ってくれるじゃない。


社交辞令でもうれしかったですね。


国を代表して戦う選手が試合をするその直前に


みんなの前で国歌を歌える機会がもし今後あるなら、


そんな尊いことはないなあ、と思います。


いままでそんなこと考えたこともなかったけど、いまは思うな。


もうひとつ、大きなことがありました。


2010年に宮崎で口蹄疫が流行したとき、宮崎を応援する一曲の歌ができました。


その「太陽のメロディー」という歌を、


ぼくはその後の宮崎でのコンサートで演奏させていただいているのですが、


その歌を作り、歌った方にお会いする事ができました。


ぼくらが宮崎で心をこめて演奏させていただいていることと、


その歌を愛する同郷人として、


「太陽のメロディー」を生んでくれたことへの


感謝を直接伝えることができました。


そして歌ができたときの話や、そのあとの出来事、楽曲への想いを


聞かせてもらうことができました。


ますますこの歌を大事にしたいと思いました。


宮崎の中学生やぼくの音楽仲間と一緒に


「太陽のメロディー」を演奏したコンサートのテープを、


こんどお送りするのでいちど聴いていただけけるように、


最後にお願いしました。


これもロンドンでの思い出深い出来事のひとつ。


ぼくをロンドンに招いてくださった大使ご夫妻をはじめ、


公邸、大使館のみなさんのホスピタリティ、


大使のご縁でロンドンで出会いお話させていただいたみなさん、


そしてぼくを推薦してくれた森谷真理ちゃんに心から感謝。


最近いろんなことに感謝する機会が多いのだ。


とてもいいことではないか、思って暮らしています。


あしたから日本です。


つまり1日しかウィーンにいない今日、


ぼくはオペラ座でのコーチングをいれた。


ぼくが1時間みっちり歌い終わったころに


部屋には大テノールのニール・シコフが入って来て、


コーチのジミーは次に彼のコーチングをするという。


ジミーはぼくを、


「ダイチは素晴らしいカウンターテナーなんだよ」と、


シコフに紹介してくれた。


うれしかったね。


そのあとに、きのうぼくがウィーンに帰ったタイミングで突然を連絡をくださり、


ゆうべスロヴァキアで公演が終わったばかりだという


井上みちよしマエストロとぴったりタイミングがあい、


ウィーンの街で待ち合わせして、うれしい再会、という一日。


ロンドンもでかくてすごいけど、


ウィーンもやっぱりウィーン。

港町でのきづき。

九州宮崎で声楽を学びはじめた高校生のころ、


「東京の音大に進学するには東京の先生の個人レッスンをうけなければならない」


という、地方に住む音大受験生のあいだでの常識というか定説があった。


東京で教えてもらえる技術が、(日本では)唯一無二のもので、


その技術なくしては都会の音大には進学できない、


という前提での考え方だったと思う。


その子が声楽をはじめたときから可愛がって教えてきた地元の先生からすれば、


生徒を東京に里子に出すその心境はいかばかりだったのだろうか、


と今では思うが、


ぼくは親のありがたい援助もあり、東京の親戚のありがたい援助もあり、


東京の大学を受験するために、ときに高校の行事を欠席したりしながら、


その「常識」にしたがい、1年以上、定期的に東京に通わせてもらった。


そこ(東京)で教わった最初の声楽の先生のある一言を思い出す。


「まず気づきなさい。もし気づくことができたら、その気づきを生かしなさい」


もう15年以上前のことなので、正確には思い出せないけれど、


そのニュアンスはずっとぼくの中に生きている。


今週、急に用事のなくなったハンブルクを、


急に用事がなくなってもやることがなくなって困るので、訪れてきた。


どうせ旅先で声が出せる場所もないので、練習は2日間はおやすみ。


そのかわり、歌のことを忘れて、いろいろ見ようと思っていた。


街をあるいて、


港町であるハンブルクは港町であるがためにどういう産業が発展してきたのか。


たとえばそういうことを考えてみる。


港町ならではの「魚」にまつわる産業以外のことを。


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(うなぎサンドイッチ)



建物の色、街のつくりをみる。


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これまでに訪れたあの街にも、この街にも似ている。


では、地理的に、歴史的にどうなのか、そういうことを考えてみる。


世界史もっとまじめにやっとけばよかったよ、といつも思うけど。


冬の冷たい風に、足が冷えてきたので、美術館に入る。


ぼくの知らない画家の作品から、


シャガール、ピカソ、ルーベンスの作品もあったよ、パトラッシュ。


ぼくは「絵の見方」を知らない。あんまりわからないのだ。


中学や高校の美術館見学では、さっと適当に見て一番早く外に出る生徒だった。


図工や美術の授業では、クラスで一番絵がへたな生徒だった。


そんな授業で、絵はまず全体を、それから細部をみるように!


となんかそんなかんじで習った気がしたので、そんなことも実践してみた。


すると、だ。


あれ?、おれ、「絵の見方わからない」とか、矛盾してねえ?


だっておれは、


「普段音楽に触れる機会のないひとにこそ来てほしい!」


「音楽は難しく考えなくていいんだ!感じるんだ!」


とか偉そうに言って、


コンサートで演奏とかプロデュースとか生意気にしてねえ?


と気づいたのだ。


そして絵の見方がわからないことを自慢した自分を反省したのだ。


まぁ、筆のタッチがどうとか、これがこの時代特有のなんとかだ、とか、


そういうのはやっぱりわかんないけど、


自分がその絵を好きか嫌いかはわかる。


絵の題材も、イエス様が生まれたところに3人の博士が来てる絵とか、


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(ちなみにこのシーンは12/14東京でのコンサートでやります!)


肖像画、景色の絵、革命のときの絵、街並の絵、部屋の中に人がいる絵、


そういうのをぶらぶら歩きながらのんびりみて、


あー、なんかこの題材とか色、あの国のあそこで見たやつなかんじだなーとか。


この城はローマのあの城だなー、とか、


この風景はあのいなかの街ににてるなー、とか


この人はアラブの人でこういうシーンだなー、とか。


なんかねー、これまでの経験がつながるんですね。


そういう経験は普段引き出しにしまってあるけど、


ふとしたことで取り出せるんだね。


ぼくは去年、イスラエルでユダヤの世界もアラブの世界も見ることができたし、


いま話題のパレスチナにも足を踏み入れたことがある。


もう二度と行く事のない場所かもしれないけれど、


「気づき」を「生かす」のはたぶん経験で、


それ以前に「気づく」ためにも経験が必要なのだろう。


美術館のたくさんの絵たちの中に、あるときピカソの絵が出てくるわけです。


絵の見方がわからなくても、


「これはピカソの絵だから素晴らしいに違いない」


という目で見るわけです。


これも重要な気づきだったね。


とにかく、いままでの自分の歩みに改めて感謝をする旅だった。


やっぱり延期になっちゃったあのコンサートは聴きたかったけどね。


これでアレがあったらますますサイコーだっただろうと。


気を取り直して、来週はロンドンです。


公式行事で日英国歌を歌わせていただくという重要な役割をいただいたのです。


ここで国歌を論じるつもりはないけれど、


君が代をひとりで公式な場で歌うのははじめてです。


ぼくは、その場を想像しながらひとりでこの曲を練習していて、


とても神聖な気持ちになった。


日本人として、そういう場で歌えるということが光栄だなと思います。


英国の国歌もはじめて知って、練習しました。


来週の英国滞在中に、ここ1年オランダやイギリスで歌を教えてもらっている、


伝説のカウンターテナー、マイケル・チャンスとの予定がうまくあって、


10月ぶりに声の状態をみてもらえるといいなと思う。


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(わたしとマイケル)


イギリスいきが決まってから、フィリップ(パリのマネージャー)に、


「この時期ロンドンなんだけど、少し長めに日程とるから


なんとか売り込んでオーディションいれてよ!」


と言ったら、フィリップがぼくのためにすごくがんばってくれて、


ロンドンのオペラハウスのオーディションも入ったし、


リラックスしたドイツ訪問とは一転した滞在になりそうだ。


(いつか書くけど、劇場オーディションひとつとるのも本当に大変なのです)


ぼくは冒頭に書いた「常識」が真実だとはいまはあまりおもわないけど、


西先生がなにもわかっていない高校生のぼくにプレゼントしてくれた数々の言葉、


特にあの一言はいまでも心に残っているのです。


改めていい出会いと経験にこれまで恵まれたと思います。感謝。


これがわたしのハンブルク滞在記。


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【おしらせ】
本日12/2(日) 21:00よりNHK Eテレでららら♪クラシック放送です。ぼくは密着されていないので、うつらないかもしれません!うつってたら教えてください。

オーディションの孤独。

美しいナンシーから美しいウィーンにかえってきた。


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いつも思うんだけど、


オペラ歌手にとってのオーディションはリターンの予測できない投資である。


詳しく書くと長くなって寝る時間が減るから詳しく書かないけど、


まず、そもそも、オーディションに呼ばれるのが大変。


やっと呼ばれたとして、


旅費、宿泊費、移動時間を費やし、体調を整え、


前の晩くらいは奮発してその土地の元気の出るごはんを食べ、


呼ばれた時間に劇場にいくと、


同じようにやっと呼ばれた歌手が16人(今回の話)いる。


こいつはきょうパリから、あいつはきのうブリュッセルから、


ゆうべこの劇場で公演うたってたやつらもいる。


どっかから来た組はみんな、舞台袖にトランクを持っている。


はじめて会う劇場専属ピアニストと一瞬だけリハーサルをして、


舞台袖で順番を待って、ようやく舞台に立つ。



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聴いてもらえるのは多くて2-3曲、少なかったらたった1曲。


1日がかりで移動してきて泊まって、


舞台で5分から10分歌って、


客席にいるキャスティングディレクターに


「メルシー、さよならー」


と言われて、オーディションおわり。駅に向かう。


フィードバックみたいなものがすぐもらえることもあれば、


後日マネージャーを通してなんらかの連絡が来ることもある。


なんの連絡ももらえないこともある。


オールオアナッシング。


契約につながるか、お金かけてたった10分間そこで歌っただけで終わるか。


シビアだろー。


ヨーロッパでは(きっとアメリカでも)みんなこれをやって、


やり続けて、キャリアメイクするんですわ。


今年の6月にイタリアのボローニャ歌劇場で、


その前日に急に決まったオーディションを歌いました。


その場では、


「キミ素晴らしいんだけど、


今うちの劇場でキミをキャスティングできる公演の予定がない、


もしなんかあったら連絡するよー」


と言われて帰りました。


1か月後、出演のオファーがメールで届きました。


いろんなやりとりを経て、ぼくの出演はオフィシャルになりました。


2013年春、ボローニャ歌劇場に出演します。




2013年5月(6回公演)
グルック作曲 オペラ「クレリアの勝利」
(マンニオ役)
※ボローニャ歌劇場開場250周年記念公演

2013年6月(6回公演)
バッティステッリ作曲 オペラ『イタリア式離婚狂想曲』
(カルメロ・パタネ役)


7年前のボローニャ留学中、


立ち見席に通い詰めてオペラを観たボローニャ歌劇場。


こんな未来があるとは思わなかったなー。


だからぼくらはどんなに不毛さや孤独を感じても、


オーディションをやり続けなければいけないのだ。


ナンシーで歌い終わって、


翌日のフライトに乗るためにパリに1泊したのだけど、


友だちが二人も夕ご飯に付き合ってくれて本当に楽しかった。


アメリカで一番大きい音楽事務所のマネージャーに会ったとき、


オペラ歌手でワールドキャリアをするには孤独を愛せないといけないよ、


と言われた。


練習も孤独、旅も孤独、食事も基本的に孤独。


そんな孤独の中で出会い、


期間限定で音楽することになる素晴らしい同僚とか、


訪れた土地で再会する友だちとの楽しい時間とか、


舞台の上にある音楽そのもの。


孤独の先にあるものにために、いまは孤独をたのしむしかないのだ。


あさってからドイツです。


いま話題のオーディションで、1泊だけね。


やっぱり長くなった。


おやすみ世界。

さらばフランス。

どこでなにをどんなふうにやるのか、


ほとんどわからずに連れてこられたフランスの田舎でのオペラ1週間も、


ここでなにをやるぞという余計な力が入っていなかったからか、


大きな実りとともに終了しました。


その結果、フランスにはまた近いうちに来ることになるでしょう。



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いまはパリの空港にいます。


ウィーンに帰るのに、ミュンヘンで一度乗り継ぐ微妙な長旅。


直行で帰るより、経由して2フライト飛んだ方が安かったのだ。


ふしぎだ。


牛だ。


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家の敷地内だぜ。


おそるべしブルゴーニュの民家。


近すぎちゃってどうしよう。

*『藤木大地』オフィシャルHP

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カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
所属事務所による公式プロフィールはコチラ


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