コンサートの最近のブログ記事

トッパンホールでのランチタイムコンサートの予約が開始されました。ハガキでの申込みですが、入場無料です。コチラから詳細をご確認の上、ぜひご応募ください。締め切りは4月2日です。

トッパンホールへは2012年以来の登場になります。といっても、そのときはホールの主催コンサートではなくて、日本音楽コンクールの第1、第2予選の会場でした。舞台用の黒服で街を歩くにはまだ暑い日でした。なに歌ったんだっけな。あー思い出した。1次はモーツァルトとヴォーン=ウィリアムズ、2次はヴォーン=ウィリアムズとドビュッシー。新しい道を作ろうともがいていた懐かしいあの日々を思い出すと、3年経って主催公演に呼んでもらえるようになってよかったなぁ、としみじみします。感謝。今でも毎日もがいてるけれど。

入魂のオール・ウィーン・プログラム。東京の真ん中(飯田橋)で愛をさけびます。
ピアノはおなじみ松本和将さん。言わずと知れた、一番古い音楽仲間ですが、東京のホールでは久しぶりの共演です。年月を経たわたくしたちの組み合わせにもご期待ください。お待ちしています。


「ウィーンからのラヴレター」

 

・ひそやかな誘い Op.27-3R.シュトラウス 1894

Heimliche Aufforderung (R.Strauss)

 

・永遠の愛について Op.43-1(ブラームス 1864) 

Von Ewiger Liebe (J.Brahms)

 

・美しいトランペットが鳴り響くところ「子どもの不思議な角笛」(マーラー 1898

Wo die schönen Trompeten blasen (G.Mahler)

 

・連作歌曲集「遥かなる恋人に」Op.98(ベートーヴェン 1816

An die ferne Geliebte (L.v.Beethoven)

 

藤木大地(カウンターテナー)

松本和将(ピアノ)


4月23日(木)  12:15 トッパンホール(東京)詳細 

カフェ・モンタージュ。

モンタージュ。
聞いたことがあるけれど意味がちゃんとはわからない言葉のうちのひとつである。わたくしは知っている。「組み立て」だ。20代、オペラ座の裏方の仕事をしていたとき、舞台セットの組み立てプロセスがモンタージュと呼ばれていたからだ。いばってません。

12月の京都モノオペラで大変助けてもらい、「すぐメールしますから!」と抱き合って極寒の烏丸通で感動のお別れをしたピアニストの中村圭介さんが、2月にようやくメールをくれた。京都でリサイタルをしませんか、フジキとまた演奏をしたいから、という内容だった。おれの心に火がついた。関西はこれまでほとんど縁がなく、オーケストラやホールから呼んでもらえないとなかなか演奏にいく機会がない。ないのなら作ってみようほととぎすだ。おれの心に火がついたのだ。おれだって、おれと演奏したいと言ってくれるひとと演りたいのだ。気持ちがよいのだ。

早速、(中村さんにまためちゃくちゃ助けてもらって)、
11月7日に青山記念音楽館バロックザールでリサイタルをすることにした。下線をひいた。8年ぶりの自主企画、つまり自分が主催者である。赤字が出たらかぶるのである。
(公財)青山財団助成公演としての申請をさせていただいた。また下線をひいた。200席。関西にまだまだ馴染みのうすいわたくしの歌を聴きにきてくださる方々がどれほどいらっしゃるのか。

縁がないなら作ろうじゃないか。(中村さんがいろいろ教えてくれて)、われわれの船は"京都の街中の小さな劇場"カフェ・モンタージュにたどり着いた。そして、まだお会いしたことのないオーナーの高田伸也さんとのメールでのやりとりを経て、かの地でもリサイタルをさせていただけることになった。

カフェ・モンタージュへの初登場、本日より予約開始となりました。プログラムはマーラーとベートーヴェン。
40席限定です。お早めにコチラよりご予約ください。

先週のウィーンでの実験的演奏会しかり、京都での企画もしかり、自分であれこれ考えながら気を遣いながらやってみると、普段いかにまわりのみなさんにサポートしていただいているかを実感するのである。わたくしはいつでも調子にのれるから、この気づきは必要であった。あんまり成長してないことにも気づいたけど。

ご縁を組み立てよう。ないものは作ってみよう。

おれの心に火をつけた中村さんありがとう。
わたくしに歌わせてくださる高田さんありがとう。
そうだまた京都いくぜ。

4月17日(金)20:00 カフェ・モンタージュ(京都)詳細

実験的演奏会。

ゆうべウィーンで実験的演奏会をしました。
ソプラノの森谷真理さんと。彼女との縁でダブリンやアイルランドで何度も演奏させてもらったけど、そういえばそれ以外の地で共演したことはほとんどなかった。とりあえず、デュエットを何曲も本番でやってみて、録音、録画してみよう、と。なんならソロの曲もまだ人前に出してないやつをやってみよう、と真理ちゃんと企画。ホールを借りて、ピアニストをお願いして、録音技師をお願いして、リハスケジュールを決めて、集客するのかしないのか、最後まで相談して。ふだんの出演ではまわりの皆さんのサポートで演奏に集中させていただいているわたくしにとっては、改めて多くのひとに感謝をする機会となりました。結局ほぼ非公開でやったけれど、当日のサポートを、ウィーンで仲良くしてもらっている後輩たちが連携プレーで完璧に手伝ってくれて、とても助かった。ありがとう。
ピアノは日生劇場の「リア」でプロンプターをやっていた指揮者の中村瑛くん。映像ができあがってきたら、またご紹介します。今日はプログラムのみごらんください。
ソプラノとカウンターテナーのオペラ・デュオコンサート、ご興味のあるご主催者の皆様はぜひご連絡くださいね。日本でもやりましょうよ。

Mari Moriya (Soprano) & Daichi Fujiki (Countertenor)

"Experimental Duo Concert"

on Friday 13th March, 19:00

at Johans Klaviersalon (Paniglgasse 5, 1040 Wien)

Soprano: Mari Moriya
Countertenor: Daichi Fujiki
Piano: Akira Nakamura

Program

-V'adoro pupille "Giulio Cesare" Händel   (Moriya)
-Pompe vane di morte 〜 Dove sei, amato bene? "Rodelinda" Händel   (Fujiki)

-Welcher Wechsel herrscht in meiner Seele "Die Entführung aus dem Serail" Mozart  (Moriya)
-Come ti piace imponi "La clemenza di Tito"  Mozart (Fujiki, Moriya)

-Giorno d'orrore "Semiramide" Rossini  (Fujiki, Moriya)
-Ah! quel giorno ognor rammento  "Semiramide" Rossini (Fujiki)
-Bel raggio lusinghier "Semiramide"  Rossini (Moriya)

-Dawn, still darkness "Flight" Jonathan Dove (Fujiki)
-Heimliche Aufforderung R.Strauss (Fujiki)

-Belle nuit ô nuit d'amour  "Les contes d'Hoffmann" Offenbach  (Moriya, Fujiki)
-Abends will ich schlafen gehen  "Hänsel und Gretel"   Humperdinck (Moriya, Fujiki)

リュートは長いぜ。

23Jan15lute.jpg
1月23日、よみうり大手町ホールでのリサイタル。できてまだ1年も経っていない新しいホール。素晴らしかった。当日にホール、あるいは会場に入ったとき、ステージリハではほとんど声を使わないで本番にとっておくぼくが、リハで特にチェックするのは一点。自分が持っている声の中の、どこまでのピアニッシモが使えるか、ということだ。広さや響きによっては、最弱音が一番遠い席まで走らないこともある。その意味で、ピカピカのよみうり大手町ホールはフジキにたいへんフレンドリーなホールでありました。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。

この公演のご主催はホールでなく、NPO法人の"緑の街ミュージックフレンズ"のみなさんでした。Non Profit Organization(NPO)、経営学で習った。コンサートはすごく手作りで、あたたかった。土井悦子さんをはじめとするみなさんに感謝。今年は岡山や広島などでの公演でも、緑の街ミュージックフレンズのご主催で、高本一郎さんとのデュオでお世話になります。高本さんとの演奏は、予定調和でなくていつも音楽してる(musizieren)から面白い。

23Jan15trio.jpg
ギター大萩康司さんもテナー望月哲也さんもバリトン寺田功治さんも、宮崎の後輩のスズキたちも客席に応援にきてくれた。これもまた、ミュージックフレンズ。長くないリュートもあります。

いろいろなコンサートが終わりました。全部プログラムが違った。共演者も。ご主催者にも、お客さんにも、共演者にも、楽曲にも恵まれて、よい時間が過ごせました。さて、ウィーンに行ってきます。あ、ウィーンに帰る、とはあまり思わないな、今回は。新鮮な発見。おれ日本人。

あ、ブログ上方に新しい音源が追加されています。よろしければお聞きください。

J.シュトラウス:オルロフスキーのアリア(喜歌劇「こうもり」より)聴く
山田耕筰:「ペチカ」聴く
(2014年1月 石川でのライブ録音)

学びのパレード。

音楽を続けていてよかったな、と思える機会が最近たくさんあるのです。

1月17日に宮崎で歌いました。「ハーモニーinみやざき」という、主に小・中学生の合唱の祭典の30周年のゲストで20分ほど。出番は最後だったので、前半はしばらく、勝手知ったるアイザックスターンホールの客席で、みんなの演奏を聴いていました。ぼくはこの祭典に中学生のころに合唱部の一員として出演したことがあって、あとで記録誌をいただいたところによると、それは22年前の出来事だったみたいでした。だからステージの上のみんなの顔に、そのころの自分の顔をなんとなく重ねて聴いていました。歌が好きで一生懸命練習して、晴れの大舞台で歌を歌うときのみんなの顔がですね、それはそれはいい顔なのです。歌を好きなことが伝わってくる顔というかね。よかった。

そのあと楽屋で準備をしていると、小学校6年生のときの担任の先生が訪ねてきてくださったのです。当時わたし11歳、先生28歳。ミツユキ先生、全然変わってなかった。まじで。

終演後、こんどは小学校5年生のときの初めての音楽の先生も訪ねてきてくださったのである。キモト先生。まったくそれ以来。小学校は5年生から音楽は専門の先生の授業だったから、人生初めての音楽の先生である。小学校には合唱部があって、同級生で仲良しだったマツシタ君もヒラタ君も楽しそうに歌っていたし、ぼくも本当は誘ってほしかったのである。でも小学生男子、合唱をやりたいなんて自分では言い出せなかったのである。というお話をキモト先生には24年後にいたしました。

中学に入り、野球部で芽が出なかった少年を、野球部と合唱部、掛け持ちでやらないか、とようやく合唱部に誘ってくれたのがマキハラ先生で、そのおかげで胸を張って歌い始めることができた。今回のゲスト出演はもともとマキハラ先生からいただいたお話だったので、もちろんマキハラ先生にも会えて、実に恩師オンパレードだった。

17Jan15makimoto.jpg
左が牧原先生で、右が木許先生。

声楽を習い始めて高校生のコンクールなどに挑戦していたころ、結果がよいと新聞に名前が載ったりしていたわけですが、ミツユキ先生も、キモト先生も、自分がいまこういうことをやっている、ということを見つけてくれないかなー、とか、正直なところ、ちょっとは思っていたわけです。ネットもない、メールもない時代でした。新聞に名前が出れば、先生たちや、違う学校に行った同級生たちにも見てもらえるんじゃないか、と思っていた。そういうのも頑張りのモチベーションになっていた気がする。

それからだいぶ経ったけど、20年以上ぶりにお話をしていたら、先生たちは見ていてくださったようでした。だからよかったなー、と。ずっと続けていたから会えたなー、とそう思ったわけです。

合唱界のレジェンド、宮崎学園高校の有川サチ子先生とは初めて少しだけゆっくりお話ができたわけです。NHKの合唱コンクールでね、わたしは25回、NHKホールで指揮をしてるのよー、と。有川先生は特別いろいろとはおっしゃらなかったけれど、短い時間での対話にも多くの学びがありました。

いつも思うのだけれど、何事も続けること、持続させることが一番難しい。花火を一発上げることは努力と運とタイミングが重なればできるかもしれない。難しいのは続けることなのだ。


17Jan15arikawa.jpg
もうひとつ嬉しかったのは、わたくしとピアノで共演をしてくださったトリハラ先生が、自分の学校の子たちにも聴かせたい、と言ってくださって、学校の芸術鑑賞会に呼んでいただけそうなことだ。

常々、音楽という人類共通の言語を通じて、その場限りでなく、その先に長くつながる人間的な仕事がしたいと思っている。初めて自分の歌を聴いて、あるいは自分と共演をして、また聴きたい、また一緒に音楽がしたいと思ってもらえたなら、時間と精神力を注いできたことが報われたな、と思えるし、いつもそういう仕事をしないといけないと思っているのである。だから、よかった。

17Jan15teachers.jpg
お世話になった先生方と。ありがとうございました。

ニューイヤー+オペラ。

あけましておめでとうございます。

NHKニューイヤーオペラコンサートを会場と放送でご覧いただきました皆様、どうもありがとうございました。今年もとても楽しかったです。ただ楽しかった、って言ったらやっぱり軽いな。本当はとても大変です。スケジュール、体調管理、精神管理、生放送のプレッシャーとの戦い、楽曲との対峙。

でもね、あの番組を作って全国に放送するために、歌手と演奏者以外のスタッフのみなさんはもっとずっと大変なのですよ。舞台裏のすべての役割は到底書ききれないほど多くて、ものすごい規模でものすごい人数がものすごい能力でものすごいプロジェクトを全力で動かしている。

だから、ぼくには歌手なりの、しかもちょっといつもとは違う特別な大変さはもちろんあって、それなりにナーバスになってはいるのだけれど、衣装を着せてもらって、メイクをしてもらって、舞台を作ってもらって、明かりを照らしてもらって、その中に初めて登場していく、放送開始直後のオープニングのシーンね、舞台上で始まった音楽を聴きながら舞台袖で自分の番を待っているときに、もう泣けてくるのです。あぁ、今年もここに呼んでもらえて本当によかったなぁ、こんなメンバーの中の一人にしてもらえて嬉しいなぁ、こんなプロフェッショナルなみなさんに支えてもらって舞台に送り出してもらえて有難いなぁ、と、まだ歌ってもいないのに、これから歩くだけなのに泣けてくるわけです。

今年の出演が決まって、リナルドのアリアも決まって、そのあとそれが初のバロックオペラコーナーでのバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)との初共演とわかったとき、あー、まじかー、人生すごいなー、と思いました。

昔のブログを引っ張り出せばわかるけど、カウンターテナーにかわろうかと思って、いろんな人に声を聴いてもらって意見を求めていたとき、旧知の鈴木優人さんにも久々にメールをして、ご自宅にお邪魔して聴いてもらったんですね。彼がチェンバロを弾いてくれて。今でも忘れないけれど、1-2曲終わったあと、楽しかった、と言ってくれた。そのあと、父にも聴いてもらいますか?と。翌日、ぼくはBCJの練習場にお邪魔して、練習がはじまる前に1-2曲聴いていただいた。芸大の学生のときぶりにお会いする鈴木雅明さんに。そこでいただいたお言葉は、おそらく歌手人生に関わることだからかなり選んでくださった言葉だったと思うのだけれど、ぼくは勝手に前向きに受け止めた。

ヨーロッパに戻って、カウンターテナーのトレーニングを始めて、いろんな挑戦をする中で、おまえは日本人だったらヨーロッパじゃなくてマサアキのところで一緒にやればいいじゃないか、最高のバッハじゃないか、といく先々で言われた。そのくらい鈴木雅明さんとBCJは世界的に人気があり認められている存在で、ぼくだってずっとBCJと一緒にやりたいと思っていた。それがついにできたのだ。だからもう今回、雅明先生の指揮で、BCJのサウンドの中に存在できるだけで幸せだった。

バロック。オペラの世界では、バロックと現代モノは、日本ではちょっと特殊に扱われていると思う。みんなその間の時代のカルメンや椿姫や蝶々夫人やワーグナーには慣れているけれど、「バロック」にも、「現代モノ」にも、上演機会が少ないからかあまり慣れていない。その名称でひとくくりにして、それ以上の理解をしようとはあまりしていないように思えるのだ。テノールの時のぼくもそうだった。

カウンターテナーになり、もしオペラをやるならバロックと現代モノが主なレパートリーになり、それからもちろん自分なりに勉強はしたけれど、ぼくがバロックが専門の歌手かどうかといえば、普段多く歌っているものを考えればむしろ真逆だし、今年のニューイヤーオペラにバロックコーナーが設けられて、BCJがゲストで来て、おれがソリストでアリアを歌うなんて、卒倒しそうなニュースだったのである。練習していたら、これにはどう考えても日本のバロックオペラの未来がかかっている。バロックオペラの魅力を全国に伝える使命がある。おれが!ちゃんと伝わったらヨーロッパのようにもっと上演されるようになるかもしれない!という気分になっていた。

昨年は初出場で何もわからない緊張、今年は使命感による緊張だったと思う。それが結局、本番でBCJのど真ん中に立たせてもらったら、なんにもなくなった。こんな生き生きした音楽を、おれも生き生きと楽しめばいいんだと思った。贅沢で幸せで、本当に楽しかった。

過去に一度だけ、大学3年生のとき、鈴木雅明さんの指揮でマタイ受難曲のコーラスを歌ったことがあったのです。ぼくは人生でバッハを初めて歌った。打ち上げのとき、雅明先生に、バッハをご一緒できていい勉強になりました。と申し上げたのです。それに対するお返事が忘れられない。大地くん、それはよくない、コーラスの出演料をもらったんだから、勉強じゃないんだよ、仕事なんだよ、と。打ち上げの酔っ払い学生だったわたくしはそれでも、いや、でも勉強になったんです、としつこく言った気がします。

ようやく鈴木雅明先生と本当に仕事ができた。BCJと共演できた。しかもNHKニューイヤーオペラコンサートで。サイコーだった。

3Jan15BCJ.jpg
恩師、鈴木寛一先生の門下生、兄弟子の石丸幹二さんと望月哲也さんと、同じ場所に集まれたのも嬉しかった。鈴木寛一門下生3人で。

3Jan15kan1.jpg
今年もよろしくお願いいたします。

17年ぶりの舞台。

12月23日、福岡。カーテンコールに何度か出たあと、指揮者の鈴木優人さんが「おめでとう、ジャパンデビュー」と舞台袖でわたくしに言った。メサイアのアルトソロを日本で歌ったのは初めてだった。マサト君がみんなに言っていたみたいで、みんなが知っていた。外国では、ダブリンで一回やったことがあったけれど。

22Dec14reh.jpg
メサイアは昔から大好きだ。中学時代はハレルヤが卒業式のテーマソングだった。大学時代には学校行事でも外部のエキストラ出演でも毎年何回も歌い、合唱のテノールパートは暗譜で歌えていた。2001年12月12日に東京文化会館での芸大メサイアで初めてテノールのソロを歌ったときは、現時点までのどの公演のときより緊張した。ようやくの「デビュー」の機会に新しく誂えた燕尾服、中学、高校の同級生たちがお金を出し合ってお祝いにプレゼントしてくれたシャツとカフスボタンで出た。13年経って、衣装も代替わりし、サイズも変わったけれど、カフスだけはそのときのもので出た。

オーケストラはとにかく上質だった。学生時代から知っている顔もあって、ほっとした。ソロも同窓会のようだったし、福岡女学院を中心としたコーラスも大人数で楽しかった。みんなで一緒に舞台に立った。久しぶりのハレルヤでは泣けた。そうかメサイアってこんなんだったな、と思った。それを思い出せてよかった。やっぱりメサイアが大好きだった。

22Dec14solo.jpg

22Dec14acros.jpg
アクロス福岡のシンフォニーホールのステージは実に17年ぶり。高校生のとき、コンクールの受賞記念演奏会で数曲ソロを歌ったぶりだった。井上芳雄さんも、今回のオーケストラにいたヴィオラの吉田篤さんも同じときに同じ舞台に立っていた。戻ってこれるもんだなぁ。1533人の客席のみなさんに感謝。盛り上がった。

福岡在住の高校の同級生とか、中学の野球部の仲間のそのお姉さん親子とか、昔一緒に合唱団で歌っていたお兄さんとか、イタリアでルームシェアをしていた子のご家族とか、京都でお世話になったばかりの方のご家族とか、実にバリエーションに富んだ来客は想定外に刺激的で、こういうことが起こるから、演奏を続けていてよかったなとおもいます。

またやりたい。メサイアと第九は、一年に何回でもやりたいし、何回やったとしても一度たりとも同じものにしたくないな、新しいものを創りたいな、と考えていました。17年ぶりの舞台の上で歌いながら。

21Dec14sek.jpg

大作戦!のサエコもきたよ。

12月23日(火)13:00 アクロス福岡シンフォニーホール(福岡)詳細

聴く。

24Nov14no9.jpg
先週末の東京府中での第九。日本を代表するソリストと、情熱的なマエストロと、百戦錬磨のオケと、音圧の中に温かみのあるコーラスの中で、第九のソロをやりはじめてから初めて、この作品を本当の意味で聴くことができたように思った。ベートーヴェンの偉大な作品の一部として、自分以外のあらゆる外部の音を聴きながらアンサンブルをすることの尊さと気持ち良さ。自分の声を聴かせることに重心を置かない、音楽すること。あたりまえなんだけどね。また府中に帰れてよかった。

11月23日(日)14:00 府中の森芸術劇場(東京)詳細

翌日からまた京都に来て、新作モノオペラの稽古。今回の編成はオケではなく、ピアノとお箏と打楽器。歌手はおれひとり。新作だけに、1回目の京都稽古は作曲家増田さんとの対話の作業。この音符はなんでこの長さで書いたのか、なんでこの強弱記号をつけたのか、そんなことを作曲家ご本人に訊ける機会はなかなかない。シューベルトのもモーツァルトのもブラームスのもなんで彼らがそうしたのか、自分で想像し解釈して演奏するしかない中で、マスダは生きている。マスダは答えてくれる。去年東京でオペラをやったライマンも、ボローニャでオペラをやったバッティステッリも、稽古期間から公演まで同席していたので作曲家本人と話ができた。あそこはいまみたいじゃなくてこうやって歌ってくれよ、と言ってくれた。彼らの作品だ、彼らがそう書いたんだからそのとおりやった。喜んでくれた。現代モノを演るというのはそういうことなのだ。めちゃくちゃ疲れるがめちゃくちゃ楽しい。生きている音楽史だから。来年はウィーンでアデスのオペラがある。彼自身が指揮を振る。音楽史が生きている。

2回目の京都稽古(なう)は、聴く作業だ。楽器群が全部入って、彼らがどんな音で歌っているのか、語っているのか。自分のメロディ(とメロディみたいなもの)は彼らとどうやって話すのか。週末の第九で冒頭の感覚的気づきがあったもんだから、すんなり入れている。このオペラは、新しいけれど難しいとは思っていない。

ついにマスダオペラが夢に出てくるようになった。増田さんも出てくる。こうなってくると、オペラがはじまった気分になる。紅葉の京都。中期滞在。まだ一枚の赤い葉っぱも見ていない。京都では。広島ではみたよ。

12月20日(土)18:00 京都芸術センター(京都)詳細

7Nov14koyo.jpg
Photo:Y.Ohagi

ライバル。

ブラームスの曲を人前で歌ったのははじめてでした。それが、4月の東京・春・音楽祭で、「アルトのための2つの歌」で、川本嘉子さんと渡邊一正さんという日本のトッププレイヤーの方々との共演でした。リハーサルのときから、おふたりの音と音楽に埋もれているだけでえらい幸せで、えらい集中して、えらいくたくただった。本番なんて、ぼくはたった15分しか舞台にいなかったのに、えらいえらいくたくたくただった。今回のこの曲での出演オファーは1年以上前からいただいていたのだけれど、昨年末くらいから勉強しはじめて、ブラームスの旋律と和音と精神に惚れてしまったのだ。この曲に出逢わせてくださった川本さんに心から感謝します。幸せな音楽人生です。

日経新聞にこの公演のレビューが出ていました。(以下リンクから読めます)


「アルトのための」この曲を男声アルトたるカウンターテナーのぼくがやると決めたとき、ウィーンのコーチが言いました。マーラーでも、ブラームスでも、できたら女声アルトで聴きたいなーとひとが思うような曲をあえてきみ(カウンターテナーであるぼく)がやるときは、きみでなければならない、きみで聴きたいと思わせるほどの理由を見いだせる歌唱をしないと、その場合の(みんなが慣れている)アルト(女声)には勝てないよ、と。そうだね、そのとおり。

ぼくが、いま現在の世の中の一般的なカウンターテナーのイメージからは外れているレパートリーのものをあえてやるときは、ぼくのライバルはカウンターテナーではないのです。

この公演にはNHKの収録が入っていました。
またそのうちに放送日をご案内できると思います。

ハルサイの2公演はサイコーにたのしかったぜ。
3月28日に国立科学博物館日本館講堂でおこなわれました、東京・春・音楽祭でのミュージアムコンサート"藤木大地&大萩康司"のコンサートの動画が、以下の4つのリンクで期間限定でご覧になれます。ライブならではのことも起こっていますが、いいコンサートでしたので、よろしければご覧ください。



ダウランド:恋人が泣くのをみた 流れよ、わが涙 暗闇に住まわせておくれ きたれもう一度、甘き恋


コルベッタ:シャコンヌの気まぐれ パーセル:しばしの間の音楽
スカルラッティ:すみれ J.S.バッハ:ロンド風ガボット


モーツァルト:春への憧れ K.596 すみれ K.476 夕べの想い K.523
ソル:《魔笛》の主題による変奏曲 op.9


シューベルト: 春の夢(《冬の旅》より) 挨拶を送ろう D.741 野ばら D.257
[アンコール] シューマン:献呈 ヘンデル:オンブラマイフ ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)

*『藤木大地』オフィシャルHP

*トップページ

profilephoto


カウンターテナー歌手。
2012年、日本音楽コンクール第1位。カウンターテナーとして史上初の優勝者となり、大きな話題となった。13年にボローニャ歌劇場にデビュー。14年、15年には N H K ニューイヤーオペラコンサートに2年連続出演し、さらにはウィーン国立歌劇場と14/15シーズンの客演契約を結ぶなど、国際的な活動を展開する、現在最も注目を集めるアーティストのひとりである。東京藝術大学卒業。新国立劇場オペラ研修所修了。新国立劇場にテノールとしてデビュー後、ボローニャ、ウィーンに留学。11年にカウンターテナーに転向。12年国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクール世界大会にてハンス・ガボア賞を受賞。宮崎市出身。ウィーン在住。
所属事務所による公式プロフィールはコチラ


ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちコンサートカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはオペラです。

次のカテゴリはニッポンです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。